苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

人間の理性の頼りなさ(3)


       (散歩道の野苺ノイチゴ)


 昨年3月の原発事故のあと、多くの権威ある原発学者たちがテレビに出演して、ペラペラとでたらめをしゃべっていた。この人々は、いわゆる日本でもっとも頭の良いとされる部類の人々であるだけに、理性というものがいかに頼りないものであるかということをまざまざと見せられる思いがした。なぜこんなことが・・・と考えていたら、主イエスが語られた山上の説教のことばを思い出した。

「 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」マタイ6章19節ー24節

 ここで「からだのあかり」としての目というのは、理性と言い換えてよいだろう。理性は私たちが外界に起ることがらを認識するための明かり窓である。ところが、この理性を不健全にし、私たちのうちの光を暗くしてしまうものがある。それは富であり、これに惹かれる欲である。欲に惹かれてしまうときに、その人の理性は麻痺して、正確にことがらを認識することができなくなってしまう。欲に目がくらむということだ。原発マネーに首までつかってしまったので、教授たちも、その理性は麻痺して、原発の危険性についての真相は見えなくなってしまったのである。しかも、これは311事故前だけのことではなく、今なお大飯原発再稼動をめぐってもそうなのである。
 私たちはただ権威者や専門家が言っているからといって鵜呑みにするのではなく、その権威者・専門家がどういう利害関係に結ばれた人物であるかを調べて、彼らのことばがどこまで真実かどうかを見極めなければならない。
 いやいや、いちばん見極める責任があるのは、自分自身の理性が欲に惹かれておかしくなっていないかということでした。

「 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」マタイ7:3−5

原発事故解説者がもらった「8億円原発マネー」
http://toracyan53.blog60.fc2.com/blog-entry-1474.html
大飯原発再稼働を認めた原子力委員の6人に「原発マネー」
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