苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日々、新たに神に従う

 モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガの頂に登った。【主】は、彼に次の全地方を見せられた。ギルアデをダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの地、ユダの全土を西の海まで、ネゲブと低地、すなわち、なつめやしの町エリコの谷をツォアルまで。そして【主】は彼に仰せられた。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」
こうして、【主】の命令によって、【主】のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。
 主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(申命記34:1-7)

 申命記最終章を祈祷会で読み終えた。エジプト脱出後、苦節40年の旅路の後、モーセは約束の地にあと一歩のところまで来ていた。だが、主はモーセが約束の地に入ることをお許しにはならず、彼はネボ山のピスガの頂から約束の地を望み見ながら死なねばならなかった。なぜ、主はモーセが約束の地に入ることをお許しにならなかったのか。それは、モーセの旅の途上の一つの罪のゆえだった。
 あるときイスラエルの民がツィンの荒野で「水をくれ」と騒いだことがあった。すると、主はモーセに「あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す」と言われた。ところが、苛立ちを感じていたモーセは会衆を集めると、「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」と言って、彼の杖で岩を二度打って水を出したのだった。すると、主はおおせになった。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」(民数20:7〜13)
 モーセはなぜ主に言われたとおり岩に命じないで、岩を杖で打ってしまったのだろうか。それは、以前に類似の出来事が(ツィンの荒野でなく)シンの荒野においてあったが、そのときは、主はモーセに岩を杖で打って水を出すようにお命じになり、モーセはその通りにして民に水を飲ませることができたからだった(出エジプト17:1-7)。モーセは、かつての経験に頼って、今語られる神のことばに注意深く聴こうとしなかったのだった。「今回も同じこと、ちょろいものだ。」という高を括った思いがあったのだろう。いわば、モーセは「民が水をくれと言えば、おれが岩を打てばよいのだ」と、生ける神の命令をいのちのないマニュアルにしてしまっていたのである。
 ああ、しかし、クリスチャン生活が長くなり、それに慣れてくる中で、こうしたあやまちはありがちのことではないだろうか。生ける神のことばより、自分の経験に頼ってしまうということが。むずかしいことに直面すると、初心の頃は、ひたすらに祈り聖書を読んでみこころをたずねたのに、悪い意味で狎れてしまって、祈りもせず御言葉を改めて開くこともせずに、安直にことを処理してしまうというようなことが、自分にはあるのではないか。
 悔い改めて、初心に立ち返って、日々新たに神の御声に聴きしたがって歩んで行きたい。