今度、群馬県のある教会に原発のことを聖書からどう考えるかについて話をするようにと、3月頃に要請を受けて準備をしている。2回の講演で、一回は聖書から原発という技術についてどのように考えるのかについて話をするように、そして、もう一回については、「具体的に放射能汚染と生活のことについて」と求められた。
9年ほど前から東海大地震と浜岡原発、宮城沖地震と太平洋側の原発を調べるようになった。調べるほどにこの国に危機が迫っていると感じて、このブログだけでなく、クリスチャン新聞や教団誌などに機会があると書かせていただいていたが、さしたる反応はなかった。しかし、昨年3月に残念ながらあってはならない事故が起こってから、急に話や原稿の依頼が舞い込むようになって、これまで渋谷と横浜と奥多摩と関西で、聖書から見た原発問題について話をしてきた。
だが、今回、群馬の教会からの依頼には、少しちがう雰囲気を感じた。それは、放射能汚染が身近で深刻な地域からの依頼であるからだと、うかつにもお引き受けしてから気がついた。汚染地域の図面のおおよそは頭に入っているつもりだったが、しかとした認識になっていなかったのである。改めて文科省が昨年秋に発表した汚染地図を見れば、群馬県の北半分が相当線量が高い。福島原発から発した放射能の雲は、福島県中通を北から南にくだってのち、栃木県を通って群馬県に流れ込んだのである。その放射能雲の先端は長野県の軽井沢まで達したようである。その結果、群馬県の半分ほどは、もし1986年のチェルノブイリ事故の5年後にベラルーシ共和国で定められた基準でいえば、避難権利・避難義務・強制避難対象の地域となってしまっているのである。薄い緑、濃い青、明るい青がその地域である。当然のことながら、群馬の湖沼でのワカサギつりは禁止となってしまった。
しかも、線量の高い地域は高原・山岳部であり、そこから利根川、吾妻川、鳥川、渡良瀬川が南東の平野部に流れ込んできているから、今後数年のうちに高原・山岳部に降下した放射性物質は地下水と平野部への広がってくることは避けられまい。事態は、これからも相当にたいへんなことなのである。
こんな状況に置かれて生活している兄弟姉妹たちにとって、なにかお役に立てるご奉仕ができれば、と思っている。
<避難基準 ベラルーシと日本>
ベラルーシ共和国はチェルノブイリ原発の近傍にあり、1986年4月26日の原発事故でひどく汚染された。 ベラルーシ共和国はチェルノブイリ原発の近傍にあり、1986年4月26日の原発事故でひどく汚染された。今日用いられている避難基準の制定は、事故後6年の1991年12月のこと。それまでの緊急の避難基準についてはよくわからないが、一説によると100mSvだったという情報もある。だとしたら、事故後1年の日本の基準がベラルーシと比べて特別に甘いとはいえないだろう。
<年間放射線量> <日本の区分> <ベラルーシ区分>
50mSv以上 帰還困難区域 強制避難区域
20〜50mSv未満 居住制限区域(一時帰宅可能) 強制避難区域
20mSv未満 避難指示解除準備区域 強制避難区域
5mSv以上 居住可能 移住の義務区域
1〜5mSv 居住可能 移住権利区域
0,5~1mSv未満 居住可能 放射能管理区域
*放射性セシウム134の半減期は2年、セシウム137の半減期は30年