夜の家庭集会を終えて帰宅すると、奈良に住む水草さんからメッセージが届いていた。それによると、その水草さんの出身地は広島県福山の箱田であり、福山城築城(1622年)の際、天守閣の大黒柱を寄贈した古文書が見つかっているとのことで、500年〜600年前からの(武士)と聞いているということである。
福山箱田の水草といえば、私の父の親戚筋である。父の祖父はその福山箱田に生まれている。
500〜600年前といえば室町時代である。福山城の完成は元和8年(1622年)ですでに関ヶ原を経て江戸時代の初期である。ということは、江戸水草さんの唱える「広島福山の水草は、幕末に広島に転戦し、その結果、広島にも水草がいる」という説はまちがいのようである。
ということであるから、尾張水草と福山水草は別系統である。もし尾張水草と福山水草のルーツが一つだとすれば、それは室町以前ということになるのだが、果たして・・・。