苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

白鳳大地震その後

 昨日書いた日本紀における白鳳大地震は、南海トラフ震源域とする地震の最古の記録である。その後、南海トラフの巨大地震は下記のように起こってきた。むろん記録に残されたもののみである。

 684年 白鳳地震
 887年 仁和地震
 1096年・99年 永長・康和地震
 1361年 正平地震・・・・南海・東南海のみ
 1490年 明応地震
 1605年 慶長地震
 1707年 宝永地震
 1854年 安政地震
 1944・46年 昭和地震・・・・・南海・東南海のみ
  ?年 ・・・・

 正平と昭和が南海・東南海の二連動であるほかは、みな南海・東南海・東海の三連動の地震である。昭和の44,46年は戦争のために、政府は公表せず救援もほとんどされなかったため、あまり知られていないが、筆者の知り合いの桜井さんという方は、1944年浜松で被災された。とても立ってはいられない大きなたて横の揺れで、庭の池の水が長く続く大きな揺れのため、全部外にでてしまったと話しておられた。
 次に日本列島を訪れる「南海トラフ」の巨大地震対策を検討する政府の作業部会主査の河田恵昭関西大教授は「真夜中なら犠牲者が30万人」としている。莫大な使用済み核燃料を抱えたまま、一応停止している静岡の浜岡原発は、直下に震源域があるのだが、どういうことになるだろう。
 高知では34メートルの津波だとか、死者30万人とかいうとてつもない数を見せられると、キリスト者であり伝道者である筆者は、「やっぱりイエス様を信じて、いつでも神様の前に恥じない一日一日を生きなくてはいけないな」と思う。いや、それは自分には無理だから、「イエス様を信じて、毎日悔い改めながら生きよう」と、思う。地震が来なくったって、私たちは常に死に直面しているということについては、同じなのであるが、ついぼんやりしてその事実を忘れているのだ。
 くりかえし思い出されるのは、次の聖書のことば。

よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。 ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。 人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。   (ヤコブ4:13−17)

「人はみな草のごとく、
その栄華はみな草の花に似ている。
草は枯れ、
花は散る。
しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。(1ペテロ1:24)