苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

国立の町

 昨日、次男と国立市に出かけた。国立は筆者が神学生時代にすごした町である。
 小海線で森の中を抜けて小淵沢へ、小淵沢で中央線あずさに乗り換え、立川で快速に乗り換えて一駅で国立である。小海線では雨だったが、小淵沢あたりで青空が見え始めて、国立駅を降り立ったときはよい天気だった。9時に家を出て到着は12時半。
 久しぶりの国立駅は駅ビルに改修中らしく、今はアルミの仮駅舎で、昔のベージュの壁に赤い三角屋根、アーチ型の窓の瀟洒な面影はない。だが、駅から南にまっすぐ伸びる広い道路は昔のままで、相当な樹齢の桜の並木である。美しい住宅街である。しばらく歩くと一橋大学の前である。風格のある建物を木々の向こうに透かして見ながら、さらに、南に向かって歩いた。
 NKH学園で用件を済ませて国立キリスト教会に向かった。むかし、TCCと基督神学校のキャンパスがあったところである。近づくにつれて、あたりを圧するような巨大な茶色い建物ふたつが見えてきた。あれがキャンパス跡地に竹中工務店が建てたというマンションかと思ったら、はたしてそのとおりだった。国立教会の牧師にうかがったら、三百戸も入っているという。かつての広々とした芝生はアスファルトの駐車場になっているが、エントランスの桜並木はかろうじて残されていて二つの建物の間を抜けるようになっていて、裏庭にあった築山は今は公園のなかにある。・・そのように説明されれば、そうなのかと思うのだが、どうしてもイメージが重ならなかった。
 30年前と変わらない風景と、まるっきり変わってしまった風景。美しいものは過去になって、新たに出来ようとしているものは・・・そんな風に感じてしまうのは、年をとったしるしなのだろうか。

かつての国立駅の駅舎。