苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

6  いのちがけの約束

さあ星を数えてみよ
メソポタミアの王たちの連合軍はほうほうの体で去っていった。それから数日後の深夜、アブラムは揺れるともし火を見つめながら自分の天幕のなかで思いを巡らしていた。
『ロトは、今度の戦争で懲りて、もはやソドムの町に住むことをやめるのかと思っていたが、咽もとすぎればなんとやらか・・。メソポタミアの王たちが雪辱を期して再来せぬともかぎらぬのに、はてさて心配なことだ。』甥のロトとその家族は、アブラムに救出されると、性懲りもなく再びソドムに住むようになってしまったのである。
 しかし、甥のこと以上にアブラムの心を塞がせていたのは、自分と妻サラの年齢のことであった。神の約束を受けて、故郷を旅立ったとき、アブラムは七十五歳、妻は十歳下であった。あれからすでに数年がたっている。神はアブラムから偉大な国民が出現すると約束され、夫婦それなりに努力もしているが、いまだサラにはその兆候はない。無理もない。夫も妻も年齢が年齢である。
 エジプトで思いがけず富を得て、また今回の戦いの勝利でこの地での名誉をも得ることができた。けれども、どれほど富があろうと、どんな名誉を得ようと、いまさらこの年寄りになんの役に立とう。アブラムは「世継ぎとなる子どもがいなければ、すべて無駄になってしまう。わが家の筆頭のしもべエリエゼルに相続させるほかあるまい。」とつぶやいた。と、突然、アブラムの鼓膜を内側からあの声が打った。
「アブラムよ。恐れるな。
わたしはあなたの盾である。
あなたの受ける報いは非常に大きい。」
 アブラムは答えた。
「神よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
 すると、声は言った。
「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出てくる者が、あなたの跡を継がなければならない。天幕から外に出よ。」
 アブラムが天幕から外に出ると、さらに声は続いた。
「さあ。天を見上げよ。星を数えることができるなら、それを数えるがよい。」
 見上げると漆黒のビロードに惜しげもなくばらまかれたダイヤモンド。アブラムの口から思わずほおっとため息が出た。数えられるわけがない。すると、声は言った。
「あなたの子孫はこのようになる。」
 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。自分も、妻のサライも枯れかけた老木だ。だが、そもそも主は、万物にいのちを賜っているお方である。そのお方が、ご自分の作品である星空を見せて、あなたの子孫はこれほどに増えると仰せになるのである。ほかの誰でもない、このお方の約束なのだ。アブラムは、信じた。
 主なる神は、アブラムの信仰をお喜びになった。そして、聖書は、「神はアブラムの信仰を義と認められた」という。「義と認める」というのは、聞きなれない表現であろう。聖書で「義」というのは、神と正しい関係にあるということを意味する。だから「主がアブラムを義と認めた」というのは、神はアブラムが神と正しい関係にあることを承認なさったということである。
 普通に考えれば、子どもが生まれることを期待できる状況ではまるでなかった。しかし、信じうる有利な状況がないにもかかわらず、アブラムは子が与えられると信じた。なぜなら、この約束をくださったお方がほかならぬ真実な神であったからである。その主のことばにアブラムは賭けた。ここに、アブラムが「信仰の父」と呼ばれるようになった理由がある。
          
いのちがけのしるし
 さて、主はアブラムに約束された。
「わたしはこの地をあなたの所有としてあなたに与える。」
アブラムは答えた。
「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょう。」
すると、主はアブラムに命じられた。
「ここに三歳の牝牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持ってきなさい。」
アブラムは言われるとおりにして、これらを二つに裂いて向かい合わせにした。これは当時のオリエント社会での契約の様式だった。約束をする者は、<もしこの約束を破ったならば、自分はこれらの動物たちのように二つに引き裂かれてもよい>という意味で、これら引き裂かれた動物の間を通り過ぎて見せるのである。
 アブラムは思った。
『私は神と契約を結んだ者として、いのちがけで、これを守りなさいと言う意味で、この二つに裂かれた動物たちの間を歩けとおっしゃるのだろうか。・・・うん、きっとそうだろうな。』
 アブラムは次に聞こえてくるだろう、主のご命令を待っていた。西の空を朱に染めて夕日が山の端に落ちると、主の声があった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」
 そのとき、アブラムの目の前に煙の立つかまどが出現した。見ていると、不思議なことに燃え盛る炎は、あの二つに裂かれたものの間を通り過ぎて行くではないか。ようやくアブラムは、この出来事の意味を悟った。
「主よ。あなたはご自分の約束を、ご自身の命をかけて守ってくださるとおっしゃるのですか・・・。悟らない私にわかる見える方法で、この約束のたしかさを証してくださったのですか。」
アブラムは震えるような思いで裂かれたものの間をすぎてゆく不思議な炎――神の臨在――を見つめていた。
事実、アブラハムの孫ヤコブの代にアブラムの子孫はエジプトに移住して寄留者となり、四百年後、紀元前千五百年モーセの時代にエジプトを脱出してこの約束の地に帰ってくることになる。主の約束は、数百年の後に成就したのである。

「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」第二テモテ二:十三