苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

5 桶狭間

歴史の激流

「さて、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代に、これらの王たちは、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シヌアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラの王、すなわち、ツォアルの王と戦った。 14:3 このすべての王たちは連合して、シディムの谷、すなわち、今の塩の海に進んだ。彼らは十二年間ケドルラオメルに仕えていたが、十三年目にそむいた。」(創世記14:1-4)

 紀元前二千年、世界文明の先進地はオリエントだった。オリエントは毎年大河ナイルが運ぶ沃土で農耕文明を発達させたエジプトと、ティグリス・ユーフラテスという両大河にはさまれたメソポタミアという二つの大文明圏と、両者をつなぐ回廊としてのシリアないしカナン地方から成るいわゆる肥沃な三日月地帯であった。カナンの地は常に東西の両文明圏に挟まれて、どちらにつくかという立場に置かれていた。近代ヨーロッパでいえば、東はロシア、西はドイツという強国にはさまれたポーランドのような立場にあったわけである。
アブラムはメソポタミア都市国家ウルの出身で、父とともにカランの地に移り住んだ後、今は、カナンに住んでいる。当時カナンの低地には、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイム、ベラといった都市国家群が並び立っていた。当時はエジプトよりもメソポタミアの影響が強かったらしくカナンの都市国家の王たちは十二年間にわたり毎年、東方のメソポタミア都市国家エラムの王ケドルラオメルという宗主に貢物を納めてきたが、国力をたくわえるにつれて、独立を志すようになっていった。そこで、彼らはカナン都市国家同盟を結び、ケドルラオメルに対して反旗を翻した。以後、我々は貴国に貢を納めるつもりはないという意思表示だった。
 当然、エラムの王ケドルラオメルは怒った。しかし、自らの手勢だけでカナン同盟軍と戦ったのでは万が一のこともあろうかと警戒して、近隣のメソポタミアの大王たちを誘い込み、連合軍を編成し、第十四年目カナンの地に遠征をしてきた。カナンの弱小な同盟軍はメソポタミアの大連合軍の敵ではなかった。鎧袖一触、カナン同盟軍は壊滅し、ソドムとゴモラは陥落、全財産と全食糧を略奪され、住民は奴隷とするために連れ去られてしまう。
 ところで数珠繋ぎにされた捕虜の列の中にアブラムの甥ロトと家族が含まれていた。
「ああ、アブラムおじさんが、別れのとき、『神の裁きがある。ソドムに近寄るな』と警告していたのはこのことだったんだなあ。」
 ロトは胸のうちで嘆いた。彼はソドムの近くに天幕を張り、家畜を放牧していたが、やがて妻や娘たちがソドムの派手で淫蕩な文明的生活に惹きつけられ、けっきょく、一家で町の中に住み着いてしまったのだった。西方の大軍が攻めてくると聞いたとき、すぐに逃げ出せばよかったものを、「せっかく手に入れた屋敷や家具やたくさんのお着物などを、どうして置いて行けましょう。ちょっと待ってくださいな。」という妻に引き止められて、ぐずぐずしているうちに戦が始まり、脱出する機会を失って家族もろとも捕虜とされてしまったのである。
ロトは長々と続く捕虜の数珠の一粒として、日中五十度を超える砂漠の道を何百キロも徒歩で行かねばならない。妻と二人の娘も自分も、生きてメソポタミアにまでたどりつける可能性はいくばくもあるまい。ロトの胸は不安と悔恨でいっぱいだった。

奪回
 さて、ロトのしもべのひとりが番兵の目を盗んで捕虜の列から抜け出し、命からがらマムレの樫の木にあるアブラムのキャンプに駆けつけて通報した。
「アブラムさま。わがカナン同盟軍はメソポタミア連合軍と衝突すると、たちまち王は逃げ出して総崩れ。ソドムとゴモラは陥落し、全財産と、全住民は略奪されました。甥御のロト様も捕虜とされてしまわれました。」
 ある程度予想していたこととはいえ、アブラムは「あれほど言っておいたのに、何をぐずぐずしていたのだ。ロト。」と歯噛みしないではいられなかった。後ろ足で砂をかけるように、恩義あるおじのもとを去った甥ではあったが、それでも捨て置くわけにも行かない。アブラムは腹を決め、一族郎党に召集をかけると、たちまち屈強な男たち三百十八人を得た。とはいえ、メソポタミアの大軍団に比べれば、お話にならないほど多勢に無勢であった。
だが、アブラムには勝算があった。すでに帰途にあるメソポタミア軍は莫大な戦利品の荷駄と多くの捕虜を引き連れているゆえ、もはや軍としての敏速な運動はできない。烏合の衆にすぎない。また連戦連勝の軍隊はおごって気が緩むものである。事実、通報に来たロトのしもべによれば、メソポタミア軍はこのところ毎夜、勝利の美酒に酔いしれ、深夜には歩哨も立てず泥のように眠りこけているという。
アブラムは手勢を率いて、泥酔のあげく寝静まったメソポタミア軍に対して夜襲をかけた。しもべたちは黒い影となって敵陣深く侵入し、ひそかに捕虜たちの縄を解き、すべて整え終えてから、鳴り物つきで猛々しくときの声を上げた。作戦は図に当たった。連合軍の将卒どもは暗闇の中でなにが起こったかわからず、恐怖にとらわれて、同士討ちを起こし、算を乱して千鳥足で敗走したのである。アブラムは夜明け前まで敵軍をカナン北東のダンまで追撃し、そこで作戦を終えた。桶狭間を思わせる完勝だった。
アブラムは、みごとソドムとゴモラから奪い去られた全財産とすべての捕虜と奪回した。もちろんそこにはロトとその家族たちも含まれていた。

誘惑と勝利
アブラムが王の谷と呼ばれるシャベの谷までやって来ると、カナン同盟の盟主ソドムの王ベラが紫に金糸で刺繍したきらびやかな王衣に、ありったけの指輪やネックレスを身につけ、毒々しい化粧までして威儀を正して、アブラムを迎えに来ていた。昨日まで新参の遊牧民の族長にすぎなかったアブラムは、一夜明けて、輝かしい凱旋将軍となっていた。ソドムの王が、「王の谷」でアブラムを迎えたのは、今後はアブラムをカナンの諸侯の一人として遇しようという意思の表現である。カナンの社交界デビューのチャンス到来である。
だが、これは悪魔の誘惑だった。ソドムの腐臭は天にまで届いていた。メソポタミアとエジプトの間を往来する隊商は、東西の文物をこのカナンの地の諸都市にもたらし、特にソドムとゴモラの風俗は爛熟を通り越して腐熟していた。彼らと付き合いをしていくならば、早晩アブラムもまた聖なる神のみこころの道から肉欲の谷底に転落してしまうであろう。
ところが、そこにシャレムの王メルキゼデクという不思議な人物が現れた。メルキゼデクとは「義の王」という意味である。彼は真の神に仕える高潔な祭司王であった。メルキゼデクは、権威をもってアブラムにパンと葡萄酒をふるまい、かつ彼を祝福する。
「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られたいと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」
 アブラムは、はっとした。ソドムの王は「凱旋将軍アブラムに誉れあれ」とほめそやすであろうが、祭司王メルキゼデクはアブラムではなく、彼に勝利をもたらした神に栄光を帰したからである。かくて、アブラムは、得意の絶頂にある者をなによりの好物とする悪魔の毒牙を危うく免れた。
 唇に紅を引き、目の周りを黒々と縁取って淫靡な化粧をほどこし、金のイヤリングをしたソドムの王ベラは赤い舌をちらつかせながら言った。
「人々は私に返し、財産はあなたが取ってくださいな。」
しかし、アブラムは胸を張って応じた。
「私は天と地を造られた方、いと高き神に誓う。糸一本でも、くつひも一本でもあなたの所有物から私は何一つとらない。それはあなたに『アブラムを富ませたのは私よ』と言わせないためだ。」
 ちなみに、メルキゼデクという謎の祭司王は、受肉以前のロゴス、イエス・キリストではないかという説がある。