苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

2  エジプトへ

約束の地へ
 アブラムが神の召しにこたえて、妻のサライと一族郎党とカランの地を旅立とうとしていた時に、甥のロトがアブラムに言った。「おじさん。私もどうぞ連れて行ってください。きっと何かのお役に立ちますから。」アブラムの弟であり、ロトの父であるハランは一族がウルにいた時代に早く世を去っていた。子のいないアブラムは早世した弟の息子ロトをあわれに思って優しくしてやり、また、ロトも伯父アブラムを後見人として頼りにするところがあった。だからロトがアブラムの役に立ちたいと言ったことば偽りはなかっただろうが、同時に、その胸には伯父に付いて行って、いまだ見ぬ地で一旗挙げたいものだという野心がひそんでいた。
 こんなわけでアブラムは一族郎党とともに甥ロトの一党も連れて旅立って、荒れ野の道を歩いて約束の地カナンにはいった。シェケムの場、モレの樫の木のところまで来ると、主がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。
 アブラムにとってこれは意外なおことばだった。その地には、すでにカナン人たちが住んでおりさまざまな偶像を拝んでいたからである。アブラムは、偶像の満ちた故郷から自分を引き抜いて、そういう忌まわしいもののない地へ移して、そこで真の神のみをあがめる一族を形成することを神は計画しておられるのだろうと思っていた。ところが主のなさったことは、彼を偶像の地から召し出して、他の異なる偶像に満ちた地に派遣なさるということだった。不思議である。ともかくアブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
 さらに、アブラムそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイという城砦都市がある。よそ者がやってきたと、もし両都市から軍が繰り出されるならば、ひとたまりもない。そんな恐れを抱いたのだろうか、城壁も砦もないアブラムは、主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。主こそわがやぐらであった。
 こうしてアブラムの主に導かれての最初の旅は礼拝に始まり礼拝に終わった。


 さて、一族は天幕を張り、井戸を掘って、新しい地に生活の基盤を築こうと働き始める。メソポタミアの地とはいろいろと勝手のちがうところもあるが、アブラムの指導の下、忙しく励んでいた。ところが、どうも天候がおかしい。青い空にはひとひらの雲さえ見えず、ただ毎日灼熱の太陽が照りつけている。到着して以来、雨というものを見たことがない。やがて大地はひび割れ、割れた土は砂となって吹き飛ばされてしまう。半遊牧のアブラム一族は、羊・やぎ・らくだどもに食わせる草にもこと欠くようになり、井戸をのぞきこめば水位は日に日に下がりつつあった。
 こうなると一族の中からも不平と不安のつぶやきが聞こえてくる。「ご主人様についてこんな地にやって来たはいいが、ここで飢え死にか。チグリス、ユーフラテスの大河のそばに住んでおれば、こんな心配はなかったのに」と。
 周囲には動揺を見せない老練なアブラムも、内心「はて、どうしたものか・・。」と焦りを感じ始めていた。故郷での安穏とした生活を棄てさせて、老若男女およそ二千人をこの地に連れてきた族長としては、当然のことではあった。ところが聖書には、この時アブラムは祭壇の前で神を見上げて祈ったという形跡がない。かわりにアブラムは、周囲の人々が何をするのかを観察した。カナンの地の人々は、この地を飢饉が襲うと南のエジプトに避難することを常としていた。エジプトの地は大河ナイルに潤されていたからである。アフリカ奥地の熱帯雨林から水を集めて来るナイルは旱魃でも涸れなかった。
「やむをえまい。エジプトに避難しよう。」アブラムは、そう決断して約束の地を後にしてしまう。

エジプトへ

エジプトへくだる道は、どこまでも赤茶けた土と青い空だった。けれども、国境の関所が近づくにつれて、アブラムの胸のうちに黒い雲がひろがりはじめた。アブラムは妻サライに言う。
「聞いてくれ。おまえはたいそうな美女だ。」
美女と言われれば悪い気はしない。確かにサライの肌は六十を越えた女とは到底思えぬはりがあり、物腰には成熟した気品と魅力があった。彼女は『あら、こんな旅の途中に、この人はなにを言い出すのかしら。』といぶかった。ところが次に夫の口から飛び出したのはとんでもない言葉であった。
サライ。好色なエジプト人は、きっとお前を欲しがって、私を殺すにちがいない。頼む。もし問われたら、私の妹だと言ってくれ。」
唖然としたサライは返すことばがなかった。約束の地に旅立つときには、わが夫ながら、さっそうとして権威に満ちた族長アブラムに惚れ直す思いがしたものだが、今、その夫は、妻の陰に隠れてわが身を守ろうとする、なんとも小汚い老人にすぎなかった。
神の約束をしっかり握っていたとき、アブラムは勇敢で、神以外に恐れるものがなかったが、この世の人々と調子をあわせて、そそくさと神の約束の地を棄ててしまったとき、アブラムは神からの力を失ってしまったのである。
 アブラムは信仰の父と呼ばれる。彼は信仰によって神にしっかりとつながっている時には、誰よりも勇敢で威厳があり、思慮深く柔和な人だったが、ひとたび神の約束を棄ててしまうと、見る影もないほど臆病でちっぽけな人になってしまうのであった。そうであるだけに、アブラムを通して生ける神の偉大さが見えてくるのだが。


 夫が妬くほど女房はもてはしないと言うのが相場であるが、サライの場合はそうではなかった。事実、国境の関所の役人はただちにサライの美しさに目をとめた。ハム族にくらべれば肌ははるかに白く、高い鼻梁に、大きな深い瞳に長いまつげといったセム族のサライの美貌はエキゾチックでもあったのであろう。
 「この女はおまえの妻か?」役人たちは問うた。「いいえ。わが妹でございます。」とアブラム。すると、役人たちはにやりと笑ってなにやら小声で話し合ってから、「都に居を定めるがよい。家に案内させよう。しばらくそこで待て、追って沙汰をする。」と言った。
 ほかの人々とは別扱いにされ、いったいなにごとかとアブラムとサライはいぶかしく思った。数日後、宮廷からものものしく輿がよこされて来た。使者はひざまづくアブラムに権高に言った。
「アブラム。幸運な男。そちの妹はエジプト王ファラオのもとに仕えることになったぞ。よいな。ありがたく思え。」
サライをエジプト王の大奥に召し入れようと言うのである。
アブラムは奥に下がると、妻の目も見ずに、ことの次第を告げた。サライは青ざめ、ふるえる声で夫に問うた。「そんな。あなた、それでいいのですか。」すると、アブラムはくるりと背を向けて、「一族のためだ。」と低い声で言って、肩を落として妻の天幕から出て行ってしまった。