苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

フランス国営テレビが取材に来た

 「なんだか、フランス国営テレビの取材カメラマン、レポーター、日本人の通訳者が来て、町を撮影させてくれって、庭に来ているわよ。」と、昨日の朝、妻が私に告げた。教会堂が小高い丘の上にあるので、そこから町を写したいというのである。なぜフランス国営TVが小海町に関心を持ったのだろう? 「ははあ、おそらく小海町の超高齢化の件かな?」と思った。というのは数日前、フェイスブックで知り合いが紹介してくれた産経の記事で、そのことを見たからだ(http://sankei.jp.msn.com/life/news/120130/trd12013021150017-n1.htm)。
 筆者は面白いことが好きなので、ダウンコートをひっかけて、雪の庭に出てみた。町を見渡せる西側の土手の上に長身・長髪のフランス人男性カメラマンと、毛糸の帽子をかぶった小柄な女性フランス人レポーターと、黒いコートと帽子を身につけた日本人女性の通訳者が立って、町のほうを眺めている。筆者が近づくと、三人は笑顔をこちらに向けて、カメラマンが「オハヨウゴザイマス」と言った。名刺にはfrance24とある。http://www.france24.com/en/ 
 話を聞けば、案の定、1月30日産経新聞に載った「約5200人の人口の5人に2人が65歳以上の高齢者、1年間に生まれる子供は20〜30人」という「50年後の日本の人口構成に近い町」という記事から、小海町レポートを思いついたのだという。フランスも同じように高齢化、少子化に悩む国であるしなあ、と思った。話をするうちに、「インタビューしてもいいか?」と訊ねられたので、「いいですよ。」と気楽に応じたら、マイクを胸にくっつけられて録音し、カメラまで向けられた。少しびっくりしたが、話の種になりそうなので、いろいろ質問されて、日ごろ考えていることをしゃべった。時代の推移と小海町の高齢化の流れについての概略とか、こうした現状で小海町は生き残れると思うか、とか問われて知るかぎりのことをしゃべったにすぎない。突然のことだったので、不正確なことも言ってしまったかもしれない。
 お年寄りたちに聞くところによれば、小海町がもっとも栄えていたのは、昭和電工小海工場が稼動しカラマツlarchの集散地としての役割を果たしていた40〜50年前の頃で、カラマツ材の引き合いがなくなり、昭和電工工場が川崎に転じて後は、人口は減少の一途をたどってきた。現在の産業は、高原野菜、清浄な水を利用した電気部品工場、土木会社二つくらいで、かつて栄えた商店街は地方の町々のご多分に漏れず小泉改革前後からシャッター商店街化してきた。車社会となり、つぎに大規模店舗出店規制法が撤廃されて、佐久平に巨大なショッピングモールが出来てしまったので、あちこちの駅前商店街は閉店に追い込まれたのである。唯一、かつての繁栄を偲ばせるのは夏に行われる祇園の花火大会である。このときには、小海線沿線の人々がたくさん小海に集い、多くの花火が打ち上げられる。
 だが小海町を愛する住民たちは、なんとかして若者たちにとってこの町を魅力的なものとしようと努力している。ただ、いかんせん就労すべき職場がこの町にきわめて少ない。近年の「地域通貨」のこころみも効果を見なかったようである。その意義を周知せぬままに試してみた結果かもしれないから、地域通貨にはもう一度住民にその意義を十分理解してもらってから再挑戦する値打ちはあると思うが。
 子どもたちの数についていえば、18年前から見ると激減していて、かつてクリスマス、イースターの子ども会をするとあふれるように集まった子どもたちが、ほんとうにわずかしか集まれなくなった。小学校の前でのチラシの配布もかつては人手が足りないほどだったが・・・。この春からは千曲川の東と西に一つずつあった小学校が統合されて、ひとつだけになる。それは美しい小川がそばを流れ、冬は田んぼスケートのできる自然環境からいえば日本一すばらしい小学校ではあるが。
 こんな困難な状況ではあるのだが、「この町は生き残れるのか?」という問いかけを受けたときには、小海町民として少々内心反発を感じた。なぜなら、筆者の胸のうちにはずっと「東京は、いや、この日本は今みたいなことをしていて生き残れるのか?」という問いかけがあるからである。少し話をそらすことになるかなと思いつつも、考えていることを話した。今、東京には数年のうちに巨大地震がせまっている、そして、日本はあらゆる意味で大きな変化をせざるをえない時代が訪れようとしている。そのとき、小さなこの町にもこの小さな教会にも果たすべき役割があるだろうと思っている、と。
 十分に説明できなかったのだが、言いたかったのは次のことである。「小海町が生き残れるかどうか?」という問いかけは、地方から富と人を吸い取って繁栄している都市の発想であろう。たしかに地方の町はあえいでいる。しかし、いったい東京は生き残れるのだろうか?生き残るにしても、このまま安穏として行けるとでも思っているのか?昨年は311の巨大地震があり、東京が寄りかかっていた福島の過疎地の原発が破綻した。東大はここ4年間のうちに南関東直下型地震が来る可能性が70パーセント以上だと発表した。また、関東大震災のみならず東海-東南海-南海地震という未曾有の超巨大地震も迫っている。しかも、この列島には54基もの原発があるのである。しかも、政府にはそうした現実に対するに認識があるのかないのか、原発再稼動に向けて準備を進めている。今、この国は大きな歴史の転換点にある。
 これら不可避の巨大災害のとき、小海の町も、そして私たちの小さな教会も、東京のためにはたすべき役割があるのだろうと思っている。こんなことを考えているものの、突然のインタビューで十分に表現することができなかった。
 筆者は、カインが築いたノデの町に始まりバベル、ソドムの滅亡、預言者イザヤがその滅亡を預言した数々の都市国家群、そしてバビロンという終末的都市文明への神の審判という聖書の記述を読めば読むほどに、高齢化と貧しさにあえぐ田舎の町村ことよりも奢れる巨大都市の将来のほうがもっと心配なのである。http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120204/p2
 取材に来られた方たちのうちカメラマンはギョームさん、レポーターはマリさん、通訳の女性の名は聞き忘れてしまった。「ギョームって聞いたことのある名だなあ」と思っていて、あとで、ジュネーヴ宗教改革者の名であったことを思い出した。