苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

九電も政府も都合の悪いことは隠せばすむと思っているらしい(追記あり)

 以前、原発の老朽化にともない、原子炉を造っている鋼鉄はガラスのようにもろくなるという現象について触れたことがある。地震が来て、運転中カッカと厚くなっている原子炉に緊急停止のために水をかけると、その衝撃で原子炉が割れてしまうというのである。ちょうどガラスのコップに熱湯を注ぐと割れるのと同じように。金属材料物性の専門家は、「玄海原発1号機の原子炉は陶器のようなもので、簡単にひび割れ、破断してしまう。もし現実になれば、炉心の燃料棒が吹っ飛ぶような大爆発を引き起こす可能性もあります」(井野博満東大名誉教授)と指摘している。玄海原発1号機のばあい、なんと98度のお湯をかけても、割れてしまうほどもろくなっていることがわかっている。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20110625/p1
 どの程度もろくなっているかを調べるために、炉と同じ試験用の鋼片を炉に置いてある。ところが、九州電力はその試験用の鋼片を廃棄してしまったという。都合の悪いことは隠せばすむと思っているとは・・・。政府も地震対策本部の議事録がない、とか。なんだろう?この国は。・・・このように事実に向き合えないような人々が、虚構の安全神話をつくりあげてきたのである。

九電玄海原発、試験片を廃棄か 原子炉劣化の目安
2012年1月24日
九州電力玄海原発1号機の老朽化をめぐり、経済産業省原子力安全・保安院は23日、専門家が審議する意見聴取会を東京都内で開いた。九電の担当者は「原子炉の健全性に問題はない」と説明したが、専門家からデータ不足や分析手法の甘さを指摘する声が続出。原子炉から取り出した試験片の一部を九電が保管しておらず、廃棄した可能性があることも明らかになった。

 運転開始から36年3カ月たつ玄海1号機では、原子炉圧力容器の劣化の目安になる「脆性(ぜいせい)遷移温度」の急上昇が2009年に発覚。核燃料から出る放射線が当たり続けることで鋼がもろくなる現象が予測以上に進み、事故時に原子炉が壊れやすくなっているおそれが指摘されている。原因は不明。原発老朽化問題の中でも喫緊の課題とされ、この日の会合で初めて本格的に議論された。

 九電の担当者は、電子顕微鏡などを使った原子レベルの分析や不純物の組成データなどを示し、「1993年と2009年に取り出した試験片を詳しく調べたが特別な異常はなかった」とした。だが、専門家から「もっと詳しいデータを出してほしい」「本当に適切で公平な判断がされているのか」と追及され、76年と80年の試験片が残っていないことを明かした。担当者は「当時は詳しい分析手法がなく、貴重だという意識がなかった」と話した。

 審議は、九電が提出する追加データを踏まえて次回も続ける。会合後、渡辺英雄・九州大准教授(材料科学)は「電力会社だけでは原因究明は無理。全国の専門家で試験片を研究できるようにしてほしい」と語った。(安田朋起)

追記 同日>
 このように自分の属している組織が維持されることが至高の価値であって、そのためには人が死のうと国が滅びようと法を破ろうと、それが正義であるという価値観がどうも日本人には強いようである。集団主義というのか。先に、前田検事が厚生省の局長を証拠を捏造して罪に陥れようとした事件があったが、彼の上司はインタビュアーに対して「組織のためにやったことであって、何も悪いことはしていない。」と答えていた。検察という組織を守ることが、法を守ることよりも、冤罪事件を起こさないことよりも大切なのだという価値観である。
 日本人の集団主義は、今回の震災後、火事場泥棒の発生を少なくさせているという長所がしきりに指摘されている。だが、自分の属する組織が、ある目的を達成するための手段であることを忘れて、組織防衛を至高の価値とするならば、集団主義は愚かな偶像崇拝でもあることを、われわれは忘れてはならないと思う。
 本来、検察は社会正義の実現を目的とする手段であり、電力会社は国民のための電力の安全な供給を目的としている手段なのであって、それ自体が目的ではないのだ。
 むろん、教会・教団というものも​、その組織の維持自体が目的ではない。至高の目的は、神を愛し、​隣人を愛するということ、そのことのために、教会も教団も存在す​る。個人主義が自己を神とする偶像崇拝であると同時に、組織主義は組織を神とする偶像崇拝である。われわれは真の神をのみ神としなければならない。