ケセン語訳聖書で山上の垂訓や放蕩息子のたとえを聞くと、なんともしみじみと胸打たれる。田舎育ちのイエス様があの丘の上で、ガリラヤ弁でお話になったのだから、標準語よりこちらのほうが雰囲気が出ている気がする。放蕩息子の話では、胸が熱くなってしまった。正直に言うと泣いてしまった。
マタイ5:38−6:6「仇とんな・・・」
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マルコ12:28−44「一番大事な掟のこと」
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ルカ15:11−32「放蕩息子のたとえ」
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ヨハネ1:1−18「はしめのことば」
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*こちらが出典http://www.epix.co.jp/
*聖書翻訳についてものすごく示唆されるところの多い山浦神父のお話のさわり・・・http://www.epix.co.jp/index.img/kouenkai.mov