苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

創造からバベルまで・・・Ⅵ 食べること

1 草食のライオン

 神は動物と人間を造ると、すぐに食べ物の心配をしてくださいました。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」(創世記1:29,30) 「へえ」と気づくのは、創造の初めには肉食獣はおらず、みな穀物食、草食だったということです。
肉食が許可されるのは、大洪水直後のことです。神はノアに言われました。「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。」(創世記 9:3)おそらく大洪水後、自然環境が激変したために、もはや植物だけでは十分に栄養を摂取できなくなってしまったので、神は人間に肉食を許されたと考えられます。
もっとも、人類の堕落後、大洪水以前にもすでに野獣や神を恐れない人々のうちには神の許可を待たないで、すでに肉食をしていた者がいた可能性が高いと思われます。というのは、人類の堕落後、大洪水前すでに被造物は本来的な状態でなくなってしまっていたからです。もし創造科学研究所の洪水地質学の主張が正しいとすれば、大洪水前にはティラノサウルスやベロキラプトルなど肉食恐竜が草食動物を餌にしていたわけです。人間のうちにも欲望から肉食をする人々が現われていたとしても不思議はありません。
動物の食性は、その歯列に現われています。ゾウや牛は草を食べるための臼歯しかありませんし、ライオンやトラは肉を食べるためにすべてが犬歯です。堕落前はすべての動物が草食獣でしたから、当時のライオンやトラの歯はギザギザではなくて、獅子舞の歯みたいに四角い前歯や臼歯だったのだと想像すると愉快です。イザヤが描く終末の国では、肉食獣が草食にもどって平和に暮らすとあります。「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。」(イザヤ11:6,7)わらを食べてからだを維持できるライオンは、きっと馬や牛のような歯列と消化器官を持っていることでしょう。
牧場で牛や羊が草をはんでいるのを眺めれば、「のどかだなあ」とあくびが出ます。けれども、ヒヒがヒョウに追いつかれて恐怖の形相で咽笛にかぶりつかれて、腹を食い破られ、血まみれの内臓を食べられているのを見て「ああ、のどかだなあ」とはどうしても思えません。やはり、肉食は不自然な、本来あってはならないことなのだとはるかな記憶の中で私たちは知っているのでしょう。

(堕落前)

(堕落後)

(あごが外れそう)


2 肉の過食に注意!

人間の歯は成人で三十二本。穀物をこなす臼歯は二十本、野菜を噛み切る切歯が八本、肉を食べるための犬歯は四本という構成ですから、比率でいえば、穀物五:野菜二:肉一という割合になります。これが人間の食性の現われですから、聖書がいうように、人間は基本的に穀物菜食の生き物であることがわかります。

こうしてみると、戦後、アメリカの影響を受けた現代日本人の食生活は穀類が不足し、肉を極端に食べ過ぎていることは明らかです。肉を食べ過ぎるとどうなるか。山梨県の長寿村鋼原を六十年間追跡調査してきた医学者は次のように報告しています。「食生活が近代化して十年すると発ガンが増える。鋼原でも戦後増えたものは、動物性たんぱく質、脂肪、コレステロールで、肝心かなめの微量ミネラル、ビタミン、植物繊維が半減したという結果が出ました。」(古守豊甫 「長寿村、短命化の教訓」(『土と健康』302号日本有機農業研究会所収)
特に日本人は長年穀物菜食を基本にしていたので、植物繊維をこなすために欧米人よりかなり腸が長くなり、胴が長くなりました。腸が長いと腸内に便が残り勝ちになりますが、腸内に残った肉類のかすは異常発酵して発ガンの要因になります。戦後、日本人の間で大腸ガンが増えた理由です。
肉食に偏った食習慣は個人の健康に問題があるだけでなく、世界の飢餓と環境破壊の原因になっています。というのは、たとえば牛肉1キログラムつくるには餌としての穀類が5キログラムも必要だからです。話を単純化しすぎですが、もし人が肉食をやめて穀物をそのまま食べるようにすれば、現状で世界は食糧が有り余っているのです。
近年中国都市部では、食生活が近代化するにつれて、その需要に答えるために放牧地の家畜の数が激増し、本来その土地が養いうる家畜の五倍もの家畜を飼っているので、家畜が草の根まで食べてしまい、それが急激な砂漠化をもたらしていると報告されています。いわゆる過放牧です。



3 食べてよい物、いけない物

人間は何を食べるべきで何を食べるべきではないのでしょうか。聖書全体を見れば、<人は神が許してくださったものを食べ、禁じられたものを食べてはならない>という原則が貫かれています。まず、先に紹介したように、人間と動物には食糧として植物が与えられました。
ですがエデンの園では果樹のうちで善悪の知識の木は禁断とされました。「神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。』」(創世記2:16,17)
 モーセの時代のレビ記では、食べてよいものが厳しく制限されました。獣ではひづめが割れていて、かつ反芻する牛、羊、ヤギ、鹿などはOKです。馬やろばは反芻しますが、ひづめは割れていないので不可。豚はひづめは割れていますが、反芻しないので不可です。ひづめのない犬・猫・熊などは不可。魚ではうろこがないウナギなどは不可。というわけで、今でも旧約の祭儀律法の下にあるイスラエル人はトンカツ、うな丼、馬刺などは気の毒なことに食べません。また、昆虫の中でイナゴ・バッタの類は食べてよかったので、バプテスマのヨハネは野蜜とともに、これを常食していました。筆者の住む信州ではイナゴの佃煮を食べますが、時々アフリカなどで大発生して困る飛蝗が食されるならば、飢餓対策になるかもしれません(レビ11章参照)。
 新約時代になると、異邦人に福音が提供される時代になったからでしょう。なんでも食べてよいことになりました。ローマの百人隊長コルネリオに会う前に、神は使徒ペテロに地上のあらゆる種類の四足の動物や、はうもの、ハゲタカなどを差し出して、「さあ食べなさい。」と命じて、躊躇するペテロに「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」と諭されました(使徒10章)。
 異邦人への使徒パウロは行く先々、異邦人が彼を食卓に招いてくれるとなんでも食べたでしょう。かつて厳格なパリサイ派だったパウロにとって禁欲はたやすいことでしたが、異邦人と同じように、豚肉やウナギなどには相当抵抗があったろうと思います。でも、彼は律法を持たない異邦人には異邦人のようになって(1コリント9:21参照)、トンカツなどを食べたのでしょう。でも恐る恐るトンカツを口に入れてみて、「あれ、食べてみると、意外といけるんだ。いや、うまい。うまい。」と、旧約の食物禁忌から解放してくださったキリストに感謝したかもしれませんね。というわけで、宣教師志願の読者は好き嫌いせずなんでも食べる自己訓練をしましょう。別に宣教師でなくても、信州では蜂の子やイナゴをふつうに食べます。まあ蜂の子はとんでもない高級品で、なかなか口に入りませんが。

(蜂の子)


4 復活のからだをいただいても食べるのか

 私たちは復活後、何か食べるのでしょうか。イエス様は復活してこられたとき、弟子たちに腕まくりをしても、足を見せても、ほんとうに復活したと信じてくれないので、そこにあった焼き魚をムシャムシャと食べて見せました。こういうところを見ると、復活のからだになっても食べるということはあるのですね。神学者によっては、これは弟子たちのために特別に食べて見せたのであって、常に食べる必要があるわけではないというのですが、果たしてそうでしょうか?そういう考え方は、霊のみを善とするギリシャ哲学風のにおいがします。イエス様に復活のからだがあり、イエス様が復活の初穂であられる以上、私たちも復活のからだが与えられ、食べることもあるのだろうと見るべきだと思います。
「都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。」(黙示録22:2)とありますが、幸いなことにここにはもう善悪の知識の木はありません。そのときには神に背きうるような自由意志ではなく、みこころにかなうことのみを喜んで選択する自由意志が与えられるのです。復活のからだになったら何も食べないのだと主張する学者さんは、がまんして食べないのかもしれませんが、私は十二種類のいのちの木の実を食べます。楽しみですね。
 ところで、もうひとつ気になることは、イエス様がこのときお魚を召し上がったことです。狼は羊とともに宿るような新天新地の時代のからだでも、魚肉は食べるのかもしれません。なにもかも、人間の考える理屈どおりに書かれていないところが、聖書のおもしろいところです。