苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

あなたの王を迎えよ

マタイ2:1−18
2011年12月25日 クリスマス主日礼拝

1.ヘロデ大王
(1)歴史の中に
  まず1節に「イエスヘロデ王の時代に、ユダヤベツレヘムにお生まれになった」とあります。聖書にはヘロデという名前が幾人か登場しますが 、ここに登場するヘロデ王とは歴史書で「ヘロデ大王」と呼ばれる人物で、少し大きな百科事典によれば紀元前74年に生まれ紀元前4年に死んだ人です。
ヘロデの王権は、属州とされたイスラエルローマ帝国が立てた傀儡政権でした。「ヘロデは身体強健、精力的で馬術、弓術、投げ槍がたくみで、弁舌の才、経済の才にも恵まれ、しかも勇敢な武人で統率者としての天分を持っていたようである。肉親に対して情が厚い反面、敵対者に対しては容赦のない憎しみを注いだ。建築に関しても趣味と才能を示している。」と事典には書かれています。
若き日のヘロデはガリラヤ州の知事として赴任すると、武人として山賊退治で名を馳せ、その後、ローマ帝国の権力者オクタビアヌスアントニウスたちの間をたくみに歓心を買いつつ出世して行き、さまざまな政敵を倒して、ついに、紀元前37年ユダヤ玉座を手に入れたのでした。以後、ヘロデ大王は30年以上にわたってこのイスラエルに君臨し続けてきたのです。そして、イエス様は紀元前4年にお生まれになったので、ヘロデの治世の最後の年にこの世に来られベツレヘムでお生まれになりました。遠く帝国の都ローマには、皇帝としてアウグストゥスが君臨しています。
エス様は私たちが住むこの時間と空間の歴史の中にお生まれになったのです。「ことばは人となって私たちの間に住まわれた。」とヨハネ福音書がいうとおりです。

(2)ヘロデ大王の恐れ
 東方の博士たちというのは、遠くインド、ペルシャメソポタミア、アラビア方面のことでしょう。彼らは旧約聖書のメシヤ預言も研究し、御霊の導きを受けて、メシヤの誕生を確信してはるばるエルサレムまで来て、ヘロデ大王の宮殿に来たのでした。

2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
2:3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。

 はるか東方の異国の博士たちが、ユダヤ人の王となるメシヤの誕生をお祝いし、礼拝するためにやってきたことは、このユダヤ人の王キリストが、世界の王となり救い主となることを暗示しています。世界中のあらゆる民族・国語の人々が、キリストによって救われるのです。
しかし、肝心のユダヤヘロデ大王は恐れ惑い、またエルサレム中の人々も同じように恐れ惑ったのです。彼らは何を恐れたのでしょう。それは、これまでのヘロデの歩みを見れば容易に想像がつくところです。 晩年のヘロデ大王は権力の亡者でした。ヘロデには政略結婚を繰り返して得た10人の妻と15人の子どもがいました。そうした妻たちの中で唯一、本当に愛したのはマリアンメでした。ところが、ある日ヘロデ大王は「マリアンメ様は王座をねらっていらっしゃる。」と中傷を聞き、マリアンメを処刑してしまいます。後に、その中傷が嘘であったことを知ったヘロデ大王はたいへん後悔して、マリアンメの二人の遺児を溺愛します。しかし、この二人の王子についても、ある日ヘロデは讒言を聞きます。「あの二人の王子は王様のいのちと玉座をねらっていらっしゃいます」と。ヘロデは、この二人の実の息子も処刑してしまうのです。そして、その処刑後5日目、ヘロデは国民からも近親からも恐怖の的となり、猜疑心と激痛のなかで惨めに死ぬのです。これが紀元前4年のことです。
時の皇帝アウグストゥス・オクタウィアーヌスは、「余は、ヘロデのヒュイオス(息子)であるよりは、ヘロデのヒュス(豚)でありたい」と言ったそうです。ユダヤ人は豚を食べないから屠殺されませんから、ヘロデの息子の命は危ないわけです。
そんなヘロデ大王でしたから、「ユダヤ人の王となるべきお方の誕生をお祝いに伺いました。」という東からやってきた博士たちの挨拶に、おじまどったのは当然でした。ヘロデ大王はこのとき78歳。相手は赤ん坊です。それでも、ヘロデ大王は自分以外に王が出現したことを恐れたのです。明らかに心を病んでいます。
そうして、ヘロデ大王は、学者たちに旧約聖書の預言を調べさせて、メシヤ誕生の地がエルサレムからほど近いベツレヘムであることを突き止めます。そして、東から来た博士たちをだまして新しく生まれた王とやらを殺してしまおうと画策しました。けれどもイエス・キリストを赤ん坊のうちに取り殺してしまおうとし画策し、ベツレヘムに二歳以下の男児を皆殺しにさせるのです。エルサレムの住民たちが恐れたとおりのことが起こってしまいました。

 ヘロデ大王の醜悪な晩年の姿を思うと、身の毛もよだちます。ですが、アドベントを通じて創世記1章から3章にかけて、神の前における人間について学んできたわたしたちとしては、必ずしもこれはヘロデ大王一人のことだとはいえないことがわかります。確かにヘロデは極端ですけれども、およそ神様に背いた人間というものは、ヘロデに本質的に似た面があるのです。
 人は初めに御子に似た者として造られ、神を崇め、隣人を愛し、神の代理として、「園を耕し、守り」という務めが与えられました。人はエデンの園の王ですが、暴君ではなく、あくまでも神から託された園を管理する任務をいただいた神のしもべとしての王であり、真の王は神ご自身でした。人は、神のしもべとして仕えるこころを持つ謙遜な王であるようにというのが、神が本来アダムに期待したところです。
 しかし、最初の人は「神など要らない、私が私の神なのだ。私以外に王は要らない、私自身が王なのだ。」という傲慢で自己中心の人生を選択してしまいます。神に背いたとき、人をも恐れるようになってしまいます。さらに、被造物を暴君的に支配するようになりました。

2.祭司長と学者たち・・・知と愛の分離

キリストが生まれたという知らせを聞いた人々としては、ヘロデ大王のもとには、また別のタイプの人々がいました。

2:4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。2:5 彼らは王に言った。
ユダヤベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
2:6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、
  決して一番小さくはない。
  わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」

 祭司長、学者たちは、預言者のことばを即座に引用して見せることができました。彼らはメシヤ誕生の地は、ベツレヘムであるという知識は持っていました。けれども、その知識は彼らにとってなんの益ももたらさなかったのです。ただ知っているだけ、でした。
 キリストが来られたということに対して、ヘロデ大王のように強烈に反応し、その抹殺を謀ろうとするというような人はあるいは少ないかもしれません。学者・祭司たちは、そういうタイプではありません。彼らに聞けば、旧約聖書のメシヤにかんする預言は、たくさん暗証してもらえたことでしょう。でも、それだけでした。来られた王のもとにはせ参じて、礼拝をささげようとはしませんでした。なぜでしょうか?
 二つ理由があるように思います。
一つの理由は、彼らはヘロデ大王を恐れていたからでしょう。大王がメシヤを憎んでいるにちがいない。ここで新しく生まれたメシヤを拝みに行ったりしたら、自分たちもヘロデから疑いの目で見られ、命も危ない、ということでの自粛でした。臆病さのゆえに、彼らはせっかくメシヤがベツレヘムに来られたという、一般の人では持つことのできない知識をもっていながら出かけなかった。そういうことかもしれません。

 ですが、私は、祭司や学者たちが出かけなかったのは、どうもそれだけではないように思われてならないのです。どうも、私は彼らの祭司長・学者という職業宗教家としての知識の持ち方の問題ではないかと言うふうに思えてなりません。祭司長・聖書学者である彼らにとっては、聖書の知識は、膨大な知識の棚にただきちんと整理して収めておけばよいものであって、知りえた真理に自分がどう生きるということが伴っていなかったということではないでしょうか。知識を得て、それを他の人には適用するのだけれど、自分自身はその埒外においてあるというのでしょうか。後にイエス様は律法学者についてこんなふうにおっしゃいました。
「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。 また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。」(マタイ23:2−4)
学者とか評論家というものは、えてしてこういうことになりがちです。善悪の知識の木から人が木の実を食べて以来、知識というものは、どうもこういうふうに、知っただけで自己満足して、その知識にしたがって生きることと遊離してしまうようになったのではないでしょうか。
でも、聖書から神のことばを聴くとき、信徒であろうと牧師であろうと、人は評論家であってはいけないのです。神様は評論家を求めてはいらっしゃいません。神様が求めているのは、神を愛してしたがう、神のしもべなのです。神のことばを聞いたならば、私たちは、神の前に応答して生きることが求められているのです。

追記2014年10月>
 リチャード・ボウカム『イエス入門』の一節を思い出しました。
「帝国はなによりもローマ人と彼らを支える属州のエリートたちの繁栄のために存在していたという事実を。ローマはたいてい地方のエリート支配者たちと共同で属州を統治した。したがって、ローマがユダヤ地方で大祭司とその議会の協力を求めたのは自然ななりゆきだった。」(p39)
 大祭司と学者たちは、傀儡のヘロデ体制の下で既得権益に与るエリートたちだった。




3.博士たちは礼拝し喜んだ

 王についている祭司長・聖書学者たちから、ミカの預言によってメシヤ誕生の地はベツレヘムだと知らされた東の博士たちは、すぐにベツレヘムへと向かいました。彼らもまた博士と呼ばれる人々でしたが、ヘロデ大王にくっついている祭司長・学者たちとちがって、真理を知ったならば、その真理にいのちを賭けて生きるという人々でした。遠くインドやペルシャメソポタミアから、メシヤを訪ねてやってきたのです。
彼らは旧約聖書の研究と星の出現によって、「ああ、遠くでキリストが生まれるんだなあ。」と西の空を眺めているだけでは決して満足できませんでした。キリストが来られたならば、そのお方にぜひとも礼拝したいものだ。そのお方は、世界の救い主なのだから、自分にとってもっとも大切な品物をお祝いとして差し上げたいものだと願いました。願って、実行に移しました。そして、王や祭司・学者たちが経験せず、博士たちが経験したのは、大いなる喜びでした。御子に対する礼拝でした。何にも代えがたい深い感動でした。

2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。


結び
ヘロデ大王と、祭司長・学者たちと、この東の博士たち。なにがこんなに違っているのでしょうか。
ヘロデ大王とは、キリストを自分の王として迎えることを拒んだ人です。あなたの心にも王座があります。生まれながらの私たちの心には、それぞれ自我という王が腰掛けているのです。けれども、キリストが来られると、私をあなたの心の王座に座らせてくれとおっしゃいます。あなたの心の王座には、キリストが座っていらっしゃるでしょうか。キリストを王として礼拝することがあなたの人生の中心になるでしょうか。そうであれば、あなたの人生には、キリストが君臨され、あなたの人生は調和したものとなるでしょう。人生には波風がつきものですが、主キリストがそれを静めてくださいます。

祭司長・学者たちはどうなのでしょうか。せっかく、キリストがベツレヘムに来られたと知りながら、礼拝をささげず、そして、あの「この上なき喜び」を経験することもないままに終わってしまった彼らの人生は、いったい何のためにこれまで聖書を研究して来たのでしょうか。神を知るということは、神を愛することと結びついていなければ、なんとむなしいことでしょう。神を愛することに結びつかない神学なら、なにも学ばないほうがましなのです。パスカルは嘆きました「神を知ることと、神を愛することとの間にはなんと大きな隔たりがあることか!」

しかし、私たちは、東の博士のように神を知ることを求めます。それは、ほかでもない神を愛するためです。神にしたがうためです。このことを忘れないようにしましょう。みことばを通し、神を知ったならば、神を賛美し、具体的な生活のなかで神にしたがって神様への愛を表現したいものです。そのとき、私たちもあの東の博士たちのように「この上ない喜び」を味わうことでしょう。