苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

首都圏3000万人が避難せずにすんだのは、二つの「偶然」による

毎日新聞の2011年12月22日「記者の目」の抜粋〜〜〜〜〜
 そのころ第1原発では1〜4号機が電源喪失で冷却機能を失った。最多の1535本(460トン)を保管する4号機の使用済み核燃料プールは沸騰。溶融すれば最悪の場合、首都圏の3000万人が避難を強いられる事態が目前だった。だが空だき直前、4号機内で起きた水素爆発の衝撃で核燃料プール横の別なプールの水が偶然、核燃料プールに流れ込み危機を免れた。

 2号機では、原子炉建屋の窓が、隣接する1号機の水素爆発の衝撃でたまたま開き、水素が排気されて建屋内の爆発が回避された。もし4号機プールが空だきとなり2号機も爆発したら、放射性物質の汚染は今の比ではなかった。
〜〜〜以上、引用〜〜〜

 もしこの二つの「偶然」がなかったら、首都圏3000万人は難民となっていたという。そうしたら、今、東京を失った日本人はどんな生活をしていたのだろう。なにが「偶然」なものか。神様のあわれみ深い摂理である。当たり前のようにして感謝もせずに年の瀬を迎えとしているとしたら、私たちは救いようがなく傲慢なのだと思う。
 それにつけても呆れるのは、これほどの厳しい警告と哀れみを受けながら、なおこの国の政府・財界・官界は、原発再稼動、原発輸出をしようとしているということである。