苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神が人のために皮の衣を

 本日の説教は、本来的には、二回の説教に分けるべき箇所だったけれど、アドベント最後の主日なので、一回に詰め込んでしまいました。結果、焦点がぼけたかもしれません。
 今回の聖書箇所で胸打たれたのは、「 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」(創世記3:21)という、なんとも恵みに満ちた表現です。罪に堕ちてしまった最初の愚かな夫婦のために、手ずから動物を殺して皮をむき彼らの体にぴったりの衣をご用意くださった主。まるで、これから危険な旅立ちをするわが子のために、夜なべして仕度を整えてやる母のように。
 敬虔な聖書注解者は、神が動物を殺し皮をはぎこれをなめして衣を縫われたというのは、あまりにも畏れおおいというふうに感じてか、(・・・あるいは神は霊であるから、そんなことはなさるまいと考えたのか)これは神がアダムたちにそうすることを許したという意味だなどと注釈をつけたりしているばあいもあるようです。しかし、後年、自ら馬屋を産屋とし、大工の子となり、十字架に釘付けにされて血を流すことさえいとわれなかった主が、どうして皮なめし職人や仕立て屋としてふるまわれることを厭われたでしょうか。
 「園を歩き回られる主」という表現とともに、これは神の下降的愛(受肉的愛)の表現です。表現であるだけでなく、実際的行為であると私は理解しています。