苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

女もバラムもなぜ驚かないのだろう?

 聖書には、動物がしゃべったという記事が二箇所ある。ひとつは、へびがアダムの妻を誘惑した創世記3章。ところが、へびが話しかけたのに、女は驚きもせず、ふつうに会話をしている。

3:1さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。 3:2女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、 3:3ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。 3:4へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 3:5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

 もうひとつは、バラムのロバ。賢いはずのバラムが欲に目がくらんで愚かになり、愚かなはずのロバに抗議され諭されている。ロバのせりふはまったくもっともである。滑稽な場面。
 ここでもなぜかバラムはろばと普通に話しているところが面白い。なぜだろう。筆者ならば、ロバがしゃべりだしたら、びっくりしてしまうだろう。夢だとはいえないが、夢のなかの出来事のような心理状態にバラムは置かれているとしか思えない。また聖書記者が、バラムが驚いたと書いていないことも不思議である。そのような不思議な心理状態に彼があったということを前提としているからこそ、バラムはびっくり仰天したと書いていないのだと思われる。

22:21明くる朝起きてバラムは、ろばにくらをおき、モアブのつかさたちと一緒に行った。 22:22しかるに神は彼が行ったために怒りを発せられ、主の使は彼を妨げようとして、道に立ちふさがっていた。バラムは、ろばに乗り、そのしもべふたりも彼と共にいたが、 22:23ろばは主の使が、手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見、道をそれて畑にはいったので、バラムは、ろばを打って道に返そうとした。 22:24しかるに主の使はまたぶどう畑の間の狭い道に立ちふさがっていた。道の両側には石がきがあった。 22:25ろばは主の使を見て、石がきにすり寄り、バラムの足を石がきに押しつけたので、バラムは、また、ろばを打った。 22:26主の使はまた先に進んで、狭い所に立ちふさがっていた。そこは右にも左にも、曲る道がなかったので、 22:27ろばは主の使を見てバラムの下に伏した。そこでバラムは怒りを発し、つえでろばを打った。 22:28すると、主が、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」。 22:29バラムは、ろばに言った、「お前がわたしを侮ったからだ。わたしの手につるぎがあれば、いま、お前を殺してしまうのだが」。 22:30ろばはまたバラムに言った、「わたしはあなたが、きょうまで長いあいだ乗られたろばではありませんか。わたしはいつでも、あなたにこのようにしたでしょうか」。バラムは言った、「いや、しなかった」。

追記
 ひとつの仮説。アダムの妻については、以前にも書いたことがあるが、堕落前はウサギともビーバーとも熊ともふつうに会話していたから、へびに語りかけられても、驚かなかった。まあしゃべるといっても、動物たちと人間とのしゃべりかた(意思疎通の方法)は違ったでしょうが。
 もうひとつ。バラムは、堕落後、動物たちがしゃべらなくなってからの人だから、アダムの妻の場合のようには説明がつかない。少々のことでは驚かないように、日ごろから修行をしていた。 あるいは生まれつき鈍感な男だった。 あるいは日ごろからファンタジーばかり読んでいた。・・・・う〜ん、わからん。