苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

生涯にもう一度来る   (追記あり)

地震年表の字が小さくて見えにくい場合は、ブラウザの「表示」を押してズームしてください)

 先日、奥多摩バイブル・シャレーで行われたJECAの北関東地区の牧師の研修会に行ってきた。話した内容は、一回目が原発地震の話で、二回目が「神のかたちとしてのキリスト」だった。上に掲げたのは、筆者が今年4月18日に作った資料である。ブログに初めて公開したのは8月17日。ある地震とある地震が連動関係にあるかどうかは、専門家でも解釈の分かれるところなので、参考にしていただく程度でよい。

 ところで、一回目の原発地震の話の後、上の地震年表をごらんになったO先生が、おっしゃった。O先生は私の三つほど上の牧師である。
「この地震年表をじっと眺めていて、私たちは人生の中で、もう一回は巨大な地震に遭うことを覚悟しておかねばならないなと痛感しました。」
 確かに、その通りである。この年表を見れば、関東、東海、東南海で巨大、あるいは超巨大な地震が近々やって来ることは、避けがたいと思われる。読者も、じっとこの表を眺めていただきたい。そうしたら、自分がどのように備えるべきなのか、また、何を優先して生きるのかということをはっきりさせるのに、少しは役に立つように思う。

神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、
われらは恐れない。
一つの川がある。
その流れは神の都を喜ばせ、
いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
神がその中におられるので、都はゆるがない。
神は朝はやく、これを助けられる。
もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、
神がその声を出されると地は溶ける。
万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。(詩篇46:1−7)

追記
 経済産業省の官僚たちは、ほとぼりがさめるのを待って、また原発推進していくのがあたりまえだと思っているんだと、つい先日経済産業省をやめた古賀茂明さんが言っていた。
 この地震列島に54基もの震度5までしか持たないように設計された原発をかかえていて、かつ、震度6〜7の地震が頻発している活動期にありながら、どうしてそう考えられるのか、私には理解できない。欲というのは、これほどまで人の理性を曇らせてしまうのか。正気を失った政治家・官僚・財界人・大学教授たちに導かれているこの国を憂えずにはいられない。

注>日本の原発の設計震度は基本的に5。だから、原発震度6でことごとく壊れてきた。その数30基。福島第一原発は、その一つにすぎない。
http://takedanet.com/2011/07/post_5a8e.html