苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

大樹伊万里



 先日、神学校に行った時、大樹先生から有田焼(伊万里焼)の器をいただいた。吉持章先生がもっておられたお宝だが、311地震で落下し壊れてしまったという。その破片を、大樹先生がていねいに漆と金で修復したものである。敢えていちばん粉々になって修復の手のかかったものを選んでいただいて来た。
 古田織部が、朝鮮渡来の高価な茶器を割って修復すると、茶器は割られる前の何倍もの価値がついて、城ひとつ買えるものとなったというのを、以前、司馬遼太郎で読んだことがある。大樹六兵衛先生の修復になる伊万里焼であれば後日、大阪城のひとつやふたつ買える値段になるのではないかと期待しつつ、眺めている・・・てなことはないけれど。
 織部があえて壊してこれを修理して別の美の世界を作り出すというのは異様で、あまり感心しない。だが、ふとしたことで壊れてしまった茶碗が名匠の手で修理されるとき、それ以前よりも味わい深い茶碗として出直すことができるというのは、なんという慰めだろうか。

「いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう」(ヨエル2:25)。


  古田織部 大井戸茶碗「十文字」