苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

快活な心で現実に対処すること  追記あり



 1986年4月26日、原発事故後10日間放射性物質が放出され続けた。5月6日頃に収束するまでの間、最初の放射能雲はベラルーシの上を通って行き、バルト海からスカンジナビアに行った。次の放射能雲はベラルーシを通ってポーランドオーストリア、スイスを汚染した。
 チェルノブイリ原発の北方に位置するベラルーシはその国土の8割ほどが相当濃度の高い放射能汚染地帯となってしまった。
 ベラルーシでは原発事故以前、完全に健康な子どもは85パーセントだったが、原発事故後、20パーセントに激減してしまった。慢性疾病患者の子どもが10パーセントから20パーセントに増え、すべての医療分野における患者も増え、先天性疾患の発生頻度は2.3倍になった。(『自分と子どもを放射能から守るには』p28参照) 

ベラルーシではソ連共産党指導部の隠蔽体質のゆえに、すみやかな対応がなされることなく、子どもたちに安定ヨウ素剤が配られなかったために、甲状腺がんが急激にふえた。日本政府と東電も同じように真相を隠蔽したために、被曝者をふやしてしまった。残念ながら、数年後にある程度同じことが起こることは避けられまい。ただし甲状腺がんは死亡率のきわめて低い癌なのだそうであるから絶望する必要はない。
 また、先日記したように、食生活の工夫によって放射能に負けない体作りをすることもできる。そうすれば、ベラルーシでの数字よりも、発症者をずっと少なくすることができるだろう。大事なことは根拠もなく楽観視して対処を怠ったり、逆に何をやっても無駄だと悲観しすぎて手をこまねいていることである。現実をしっかりと見据えた上で、快活な心を失わないで適切に対処することが大切である。
 ベラルーシに住む辰巳さん(10月12日に紹介した上記の本の訳者)は、ご自分のからだで放射能を取り除く料理の工夫、ビタペクト、マルチビタミンなどの併用を実際に行なってみて、体内のセシウムを排出できたというレポートをブログ「ベラルーシの部屋」10月8日の記事に掲載していらっしゃる。福島や近県のおかあさんたちの慰めにも励ましにもなると思ったので、福島に住む友人にさっそくお知らせした。

追記 同日夕刻>
 鎌田實医師が述べておられたことをここにメモしておく。

 チェルノブイリ事故の近くの人口二万人ほどの町では、食物の放射線量を測る機械が二台用意されていて、住民が自分の畑でできた作物を持参するとこれを測定してくれて、「これなら大丈夫だよ。」「これはちょっと線量が高いからよそうね。」と判断してもらえる。 また全身線量測定機(whole body counter)が設置してあって、定期的に検査をして、もし体内の線量が高くなっていることが判明した場合は、他の地域で取れた放射性物質からまったく安全な野菜を提供する。80日ほど、それだけを食べるようにすれば、セシウムは尿といっしょに体外に排出されてしまう。

 どんなに除染をしたとしても限界があり、今後、我々は放射能とある程度付き合ってゆかねばならない。国と自治体は、こうした現実的・具体的な対処をして行くことが必要だと思う。



  松原湖(猪名湖)