苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

武器輸出三原則緩和?・・・憲法9条はメイドインジャパン


  (書斎の窓から見える小海町の里山



 民主党の前原氏が米国に対して「武器輸出三原則」を緩和すると以前に表明していたが、それを受けて、盟友だという野田総理が公式に「武器輸出三原則緩和」を米国に伝える方向であると報道されている。要するに、日本企業が、米国の兵器開発に参画して金儲けをし、「死の商人」の国になろうということである。前原氏と野田氏という松下政経塾コンビに共通していることは、第一に経済第一主義で経団連経済同友会など財界べったりであることと、第二に国内では黙っていて国外に行って国民にコンセンサスのできていないとんでもない約束をして帰ってきて、その外圧を利用してことがらを強引に進めるという手法である。危険である。
 こうした手法で、憲法九条をさらに骨抜きにしてしまい、改憲に向けていこうというのであろう。この際、憲法九条がメイドインジャパンであることを確認しておきたい。季節外れだが、2001年の憲法記念日に寄せて書いた記事である。

 ゴールデンウィークで西へ東へと民族移動に忙しい季節であったが、五月三日は憲法記念日であることを思い出しておきたい。特に新しい首相(小泉純一郎)は、改憲・軍備・靖国公式参拝・首相公選制といったことも大胆または無謀に論じる人であるから、私たちは目を覚ましていなければならない。
 改憲論者たちが目の仇にするのは、憲法第九条の戦争放棄条項である。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達成するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 改憲論者はしばしば、「昭和憲法は米国からの押し付け憲法である。日本国民は自主的に憲法を制定すべきである」と主張する。そして、その彼らの言う「押し付け憲法」の象徴的部分が憲法第九条なのである。けれども、これは無知による事実誤認、あるいは意図的な事実隠蔽である。なぜなら憲法第九条の戦争放棄条項の発案者は、日本国総理大臣幣原喜重郎であるから。
 一九四六年一月二十四日正午、幣原首相はマッカーサー元帥を訪ね、約二時間半会談をした。この会談の内容について、マッカーサーは一九五一年五月五日の米国上院軍事・外交合同委員会聴聞会で証言をしている。少し長くなるが引用しておこう。

「日本の首相幣原氏が私の所にやって来て、言ったのです。『私は長い間熟慮して、この問題の唯一の解決は、戦争をなくすことだという確信に至りました』と。彼は言いました。『私は非常にためらいながら、軍人であるあなたのもとにこの問題の相談にきました。なぜならあなたは私の提案を受け入れないだろうと思っているからです。しかし、私は今起草している憲法の中に、そういう条項を入れる努力をしたいのです。』と。
 それで私は思わず立ち上がり、この老人の両手を握って、それは取られ得る最高に建設的な考え方の一つだと思う、と言いました。世界があなたをあざ笑うことは十分にありうることです。ご存知のように、今は栄光をさげすむ時代、皮肉な時代なので、彼らはその考えを受け入れようとはしないでしょう。その考えはあざけりの的となることでしょう。その考えを押し通すにはたいへんな道徳的スタミナを要することでしょう。そして最終的には彼らは現状を守ることはできないでしょう。こうして私は彼を励まし、日本人はこの条項を憲法に書き入れたのです。そしてその憲法の中に何か一つでも日本の民衆の一般的な感情に訴える条項があったとすれば、それはこの条項でした。」
 この会談については、日本側からの証言もある。幣原首相の友人枢密顧問官大平駒槌は「(幣原首相は)かねて考えた世界中が戦争をしなくなるには、戦争を放棄するという事以外にはないと考える、と話し出した。ところが、マッカーサーは急に立ち上がって両手で手を握り、涙をいっぱいためて、そのとおりだ、と言い出したので、幣原はちょっとびっくりしたらしい。」と回想している。
 幣原首相はもともと平和外交の旗手であった。ところがその後、日本は中国において「自衛」と称して侵略を続け日米開戦にまで暴走してしまった。その苦い経験に基づいて、明瞭な戦争放棄が必要と考えたのだろう。他方、軍人マッカーサーは太平洋戦争の残酷さを経験し、かつ核兵器の登場という事態を見て戦争の廃止以外には人類を滅亡から救う道はないと思い至ったのである。彼が日本を武装解除することの都合から芝居を打ったのではないことは後年、彼が米国上院で戦争廃絶を強く訴えたことからわかる。
 憲法第九条戦争放棄条項はメイド・イン・ジャパンである。このことにもう少し日本人は誇りを持ってよいのではないか。
 
 主イエスを逮捕して十字架にかけようとする人々が迫ってきたとき、弟子のペテロは剣を抜き敵に打ちかかった。すると、主イエスはおっしゃった。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」(マタイ福音書二六:五二)このみことばの真実は、歴史が証明している。
 筆者は寡聞にして幣原首相がクリスチャンであったのかどうか、彼が主イエス・キリストのことばから戦争放棄を発案したかどうかは知らないが、そのスピリットには主のみことばがこだましているように思えてならない。
(通信小海91号 2001年5月)

 日本国憲法の三大特徴は、平和主義(戦争放棄)のほかに、国民主権基本的人権の尊重である。その起源についてはこちらを参照。やはりメイドインジャパンである。