苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

造り主・救い主イエス

     
           2011年9月18日 主日礼拝説教要約

「神はまた言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう』。 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」創世記1:26,27

「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。 わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。」コロサイ1:13−16


 父・子・聖霊の三位一体の神は、「さあわれわれのかたちに人を造ろう」とおっしゃって、「神のかたち」にしたがって、人を造られた。「神のかたち」とは御子イエスのことである。人は、ほんらい御子に似たものとして成長・成熟してゆく者として造られていた。御子は、万物の造り主であり、人間の本体である。御子がハンコなら、我々は紙に押されたハンコのしみである。
 しかし、最初の人は、誘惑にあって神に背き、暗闇の圧制の下に陥ってしまった。御子イエスは、神に背を向け生きる目的も見失い、罪に打ち勝つことができず私たち人間をかわいそうに思われた。そこで、自ら人となってこの世に来られ、罪こそ犯さなかったが、私たち人間と同じように弱さをになって、苦しみ、悲しみ、痛みを経験した上で、あの十字架において私たちの罪の贖いを成し遂げて復活してくださった。主イエスは、救い主である。罪赦された私たちは暗闇の圧制から、イエスのご支配の下に移された。我々は長子であるイエスのようになることを目指して成長して新天新地を相続する希望を抱いて生きてゆく。
 イエスが救い主であることしか意識しないと、自己の内面のきよめや天国には関心を持つ反面、世界に無関心になる。救い主イエスが、実はこの世界と我々の造り主であられ、我々をこの世界に派遣されたことをわきまえて、「地の塩」「世界の光」として神の栄光をあらわしたい。