苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

奈良、和歌山で大洪水

 台風12号の影響で、奈良県和歌山県で山崩れが生じ、犠牲者が百名にも及ぼうとしている。今回の台風が非常にゆっくりで、大雨が降り続いたために、山の深層にまで水が沁み込んで大規模な山崩れが起きたそうである。
 現在も懸命の救出活動が続いているが、道路が寸断されて、思うように活動が進まない。結納の日に愛娘と妻を失った町長のことをはじめ、いくつかの被災者の話を読めば胸が苦しくなる。
その上、非常に危険なのは、崩れ落ちた山が岩屑なだれとなり高さ80メートルの天然ダムを形成して上流から来た大量の水を蓄えた状態になっていることである。このあと秋の長雨でさらに水量が増えるならば水は天然ダムを越流してダムを破壊して溜め込んだ大量の水が一気に流れ落ちて下流域をなめ尽くしてしまう。現在の被災住民の救出とともに、この二次災害を予防しなければならない。 現在、水位を監視しているというが、急がれるのは、下流住民の避難をさせ、大口径の樹脂のフレキシブルホースを使って、天然ダム湖の水をすみやかに排出することである。いきなり重機をいれて溝堀をするのは危険すぎる。ダム決壊のもとになってしまうから。まず、ホースで水を抜いてしまってから、工事である。

   (天狗岳東面)
 筆者が住む小海町も、千曲川のつくった谷の両側に張り付くようにできた町であり、何本もの谷川が両脇から千曲川に流れ込んでいて、和歌山県那智勝浦町奈良県十津川村と似たような地形であるから他人事とは思えない。

 かつて、前年887年8月22日(仁和3年7月30日)の東海・東南海・南海連動地震、もしくはこの地震に連動した水蒸気爆発によって、八ヶ岳の一峰天狗岳山体の東側が崩壊した。その土砂は莫大な岩屑なだれとなって、大月川の谷を駆け下り、今日でいう海尻付近に高さ130メートルの天然ダムを成して千曲川をせき止めた。 岩屑なだれの一部は千曲川をさらに駆け下って、相木川の合流地点に高く堆積して高さ30メートルの天然ダムを成して相木川をせき止めた。海尻の堰から上流にできた湖が「大海(南牧湖)」、相木川がせき止められてできたのが「小海」である。
 大海には千曲川の流れが、小海には相木川の流れが蓄えられて、大海は翌888年(仁和4年)の二度目の梅雨を迎えようとしていた時には12kmも上流の大蔵峠南側まで達していた。その貯水量はなんと5.8億立方メートル。降り止まぬ雨のせいで大海の水は天然ダムを越流し、ついに888年6月20日(仁和4年5月8日)ダムは決壊した。その莫大な土石流は千曲川の両岸を激しく洗い巻き込みながら流れくだり、佐久平、さらに百キロかなたの善光寺平を大洪水に巻き込んだ。今日「平安砂層」と呼ばれる50センチから1.8メートルもの泥砂の層は、その大洪水の跡である。堤が低くなった大海は規模を縮小して、今日でいう海ノ口から海尻までの約4キロメートルとなったが、後年、また天然ダムは決壊して下流域に被害をもたらす。小海のほうは、室町時代後期に決壊するまで数百年ここにあった。それゆえ相木川の川上にある天台宗の寺は別名海岸院と呼ばれる。

 話をもとに戻して、山の深層崩壊の一因は、大雨以前に山林の管理にもあると思われる。林業が衰えたために山林の管理ができなくなっていることが大きい。これは日本全国同じ状況である。針葉樹林のばあい広葉落葉樹林に比べ保水力に劣ると一般に言われるが、実証的研究では両者にさほどのちがいがないという見解もあるが、どうなのだろうか。
 那智勝浦、十津川村のようすを見ると、町村の復興は容易ではない。山上を見るといったい復興できるのだろうかとさえ思われる。こういうことがあると、すぐに川の堤防を高くするというのであるが、今回ほどの水の出方にあわせて堤防を高くしてしまったら、川が見えなくなって風景が壊れてしまい、那智勝浦は観光地として成り立つまい。しかも、今回ほどの莫大な出水となれば肝心の堤防も破壊されてしまう。むしろ、鉄砲水をやりすごすピロティ式建物を考えたほうが現実的であるという指摘もある。
 ともかく、当面は救援活動、そして、できてしまった天然ダムからの水の排出が無事に行われるようにと祈る。読者も、祈られたい。