苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

法隆寺の技術




 奈良に住む姉に連れられて法隆寺を見に行った。筆者の関心の中心は、宮大工西岡常吉氏が本に書いていたその建造物である。法隆寺が建てられた時代には、のこぎりがなく、箱カンナもなかったから材木は斧で割り、槍鉋でしあげたヒノキ材でできている。その事実を、この目で見て、さわって確かめてみたいものだと十年前に氏の本を読んで以来思っていた。実際、たしかにのこぎりで画一的に切ったのではない。格子を見ると、そのことが歴然としている。年数を経て木がやせたせいで太さがまちまちであるということもあるのだろうが、手作りの風合いがある。
 こういうと法隆寺の建物は、十分な道具がない時代のもので、後代のものはもっと進歩しているのだと思われるかもしれないが、西岡氏が研究した結果としては、実はそうではない。かえって鎌倉時代あたりの建築は表面的には豪壮になっているが、実は理にかなわないものとなってしまっていて、法隆寺薬師寺こそが理にかなった造られかたがなされているという。なぜか。それは、法隆寺薬師寺を造った宮大工たちは、自らの頭と腕で工夫してこれらのものを造ったので、梁の一本、垂木の一本の配置、木と木のつなぎ方のひとつひとつにいたるまで、それがこの構造物においてどういう意味があり作用があるのかということをわきまえているからである。後代の建造物は、意味もわからずただ先輩のものをマニュアルにしてまねただけで、その根本がわかっていないから理にかなわぬものになったのであろうという。設計の背景には、設計思想があるのだが、その思想を理解せずに設計された結果だけを見ているということだろう。
 誰かが今回の原発事故に際して、こういう不測の事態に陥ると、マニュアルどおりにしか考えられない原発技術者の第二世代・第三世代は対応できないのではないかと指摘していた。苦労して本質を見極めて、その上で設計をし工夫した人であれば、本質をわきまえているので、想定外の不測の事態にも対応できるのであろうが、と。
 これは、明治以降の日本の脱亜入欧における基本的な態度は、「和魂洋才」であったことに通じるのかもしれない。西洋の技術は取り入れても、その背景にある思想やキリスト教は要らないというのである。技術方面ばかりでなく、芸術でも同じだ。キリストにはまるで無関心な人、あるいは無神論者を自認する人が、なぜか「メサイア」を上手に嬉々として歌ったり、鑑賞したりする。メサイアとはメシヤの英語読み、すなわちキリストである。しかも、その表面的な歌唱技術は精緻なまでに磨き上げられていたりする。うわべさえそれらしければ、中身はどうでもいいのだという考え方は、日本文化の特色なのだろうか。
 猛暑のなか、法隆寺の広壮な伽藍を眺めたり、何十年ぶりかで宇治金時のカキ氷を食べたりしながら、姉とこんなことを話した。

 カキ氷

こちらは唐招提寺境内にある校倉造・・・要するにログハウスです。