苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

いざ、ローマへ!

使徒28:11−30
2011年6月12日 小海主日礼拝
1. 神の国の広がり、神の国の交わり(11節から15節)
(1)神の国の広がり
 パウロ一行はマルタ島で冬の三ヶ月を過ごしました。島長をはじめとして島の人々は親切で、パウロは彼らに福音をあかしすることができました。マルタ島では、今もパウロが上陸した湾のことをパウロ湾と呼ぶそうです。
 三ヶ月後に、パウロたちは、ギリシャ神話のデオスクロイの飾りがついた船のついたアレクサンドリアの船で出発します。この船はマルタ島に冬の間寄港していたものです。船はまずマルタ島の北方シチリア島の東にある町シラクサに寄港し、三日間すごします(11,12節)。
 そして島伝いに、ついにイタリア半島の先っぽの町レギオンに達し、翌日、南からの追い風にまかせて一気に北上し、当時の重要な港湾都市ポテオリ(ポッツオーリ)に入港します。少々観光案内をすれば、ポッツオーリはナポリから13キロの地下鉄の終点で、円形劇場やセラピス神殿など古代ローマの遺跡があちらこちらにあります。また「魚食うならポッツオーリ、魚買うならポッツオーリ」といって、新鮮でおいしくて安く魚が食べられるところです。パウロの時代、とても栄えた港町です。このポテオリにはすでに主にある兄弟たちがいたのです。パウロが福音を伝えに来る前、すでにこの地には福音が伝えられており、教会が誕生していたのです(13,14節)。
 初代キリスト教会における伝道の主力はパウロのようないわゆる伝道者ではなく、一般のクリスチャンたちでした。当時は、「すべての道はローマに通ず」といわれるように、道路網は整備され、航路にしてもかつて地中海を跋扈した海賊は駆逐されて行き来が自由になっていましたから、多くの人々が商売のために東西南北自由に移動してその先でイエスをあかしし、イエス様を信じる群れがあちらこちらに自然発生的に誕生していったのです。パウロがローマ人への手紙を書いた場所はコリントであり、その時点でパウロはまだローマに出かけたことはありませんでした。でも、すでに都ローマにはクリスチャンの群れが誕生していたのです。このポテオリにも教会が誕生していました。神の国は、このようにして広がったのです。

(2)神の国の交わり
そして、パウロがやってくるということを聞きつけて、パウロに会いに来てくれたのでした。そして「もうローマは目と鼻の先。急ぐことはありません。このポテオリにゆっくり滞在して、わたしたちにイエス様のことを教えてください。ここは魚がうまいところですよ。」と奨めてくれたので、一行は一週間もここに滞在したのです。パウロは囚人としてローマ兵に護送される身でしたが、もうすっかり一行の中の主賓のような扱いになっていたみたいです。ローマ兵たちもパウロといっしょにこのポテオリで魚を食ったりして一週間をすごしたわけです。
福音のために縄目にあるパウロをもてなすことは、主イエスの兄弟愛のご命令にかなうことでした。主イエスは言われました。「・・・王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』(マタイ25:34−36)
囚人に親切にするというのは、そんなに簡単なことではありません。先の戦争のとき、キリストの再臨信仰が治安維持法にふれるということで、ホーリネス教会が弾圧され牧師たちは投獄され、ある牧師たちは拷問の末、獄死しました。現在、同盟教団の理事長安藤能成牧師のおとうさんの安藤仲市牧師もその一人です。仲市牧師家族には、支えてくれる兄弟姉妹があったようです。その木が常緑樹(ときわぎ)であるか、そうでないかは、冬が来ればわかるものです。願わくは、私たちは常緑樹でありたいものです。その交わりが、単なる人間的な水平の交わりであれば、この世の力によって断ち切られてしまうでしょうが、神につながった交わりであれば、ずっと続くでしょう。
 
 さて、ポテオリでおいしい魚を食べて過ごしていると、ローマから主にある兄弟姉妹たちがアッピア街道を歩いて迎えに来てくれました。待ちかねたのですね。
パウロは、ローマ教会の聖徒たちに会うことをどれほど楽しみにしていたことでしょうか。「まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。」(ローマ1:8−13)
 パウロは彼らに会って勇気付けられました。さすがのパウロも異郷に来て、たった一人で法廷に立たねばならないのですから、心配もあったでしょう。しかし、彼は一人ではありませんでした。支えてくれる兄弟姉妹がいたのです。そして、ともに神に感謝の祈りをささげたのです。クリスチャンの交わりは、単に水平の交わりではなく、垂直の縦軸のある交わり、天に窓の広がった交わりなのです。パウロが彼らに会って喜んだだけでなく、ともに神に感謝をささげたということに学びましょう。私たちの交わりが、常に天に向かって窓の開かれた交わりでありますように。
「私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。」(15節)

2.神の国の拡大と終末

  さて、ローマに到着すると、百人隊長の配慮でしょう。パウロは番兵つきで自分だけの家に住むことが許可されました(16節)。破格の扱いであることはいうまでもありません。予想したような暗い石の獄屋ではなく、都ローマの快適な一戸建てです。しかもガードマン付き。神様の心憎い配慮です。

 パウロはまずユダヤ人たちにイエス・キリストの福音をあかしすることにしました。事柄の順序は、そういうことです。アブラハム以来、メシヤの到来を待ち望んできた同胞ユダヤ人にこそ、まずはイエスこそあなたがたが待ち望んだメシヤですよと伝えようとしたわけです。
 ですが、その前にまず彼らに偏見なく話を聞いてもらうため、パウロは自分が同胞を訴えようとしたのではないと説明して、このようになった事情を告げます(17−19節)。そうしてむしろ、パウロはここローマに導かれた機会を生かして、あなたがたにイスラエルの望み、メシヤであるイエスについて話す為にこの鎖につながれているのだというのです。
「このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」(20節)
 これに対するユダヤ人たちのことばはたいへんまともです。自分たちとしては、パウロから直接に話を聞くことにしているというのです。悪評はあるけれども、自分たちの耳で聞き真偽を確かめたいのだというのです。
「28:21 すると、彼らはこう言った。『私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。 28:22 私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。』」

(1)御国の福音は人を分ける
 数日後、ユダヤ人たちが大勢パウロの家を訪ねてきました。そうしてパウロは朝から晩まで、イエス様のこと旧約聖書の預言から話をしました。その要点は、旧約聖徒たちが待望したメシヤはナザレのイエスであるということです。モーセやイザヤといった預言者たちが告げたメシヤは、ナザレ出身のイエスなのだということでした。
  「そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。」(23節)
 旧約聖書を調べていけば、イエス様の生涯が預言者たちの告げたことの成就であることはあきらかです。イエスダビデの家系に生まれたことは預言者イザヤが告げたことです。ベツレヘムに生まれることは、預言者ミカが告げたことでした。メシヤがくると、足なえは歩き、目の見えない者が見えるようになると告げられたイザヤの預言どおりにイエス様は数々のいやしを行いました。またメシヤは、最期に鞭打たれ苦しめられ、ついには殺されてしまうが、三日目によみがえるということは詩篇イザヤ書に預言されていましたが、主イエスにあって、その預言はみごとに成就しました。
 律法の専門家であるパウロは、自分の聖書的・神学的知識を総動員して、情熱的にユダヤ人たちに、イエスこそイスラエルの望みであるメシヤであることを朝から晩までかけて弁じたのでした。

 そのようにイエス・キリストのことを紹介された結果はどうだったでしょうか?みんな悔い改めたでしょうか。みんなが拒否したでしょうか。そうではなくあるユダヤ人たちは悔い改め、あるユダヤ人たちはイエスを拒否しました(24節)。
 この現象を、私たちは何度も使徒の働きのなかで見てきました。キリストの福音が語られると、人々は悔い改めて信じ救われる者たちと、心かたくなにして滅びて行く者たちとのふたつに分けられるのです。このことを避けることはできません。伝道者はみことばのしもべですから、みんなを喜ばせるようなあいまいなことを教えるのではなく、悔い改めてイエスを信じれば救われるとはっきりとわかるように、正しく福音を伝える必要があります。『神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰』を宣べ伝えるのが、伝道者の任務です。すべての人は神の前に罪があること。自分の罪を認めて、神の御子イエスを信じるならば救われること、このことを宣べ伝えるのです。

(2)福音は異邦人へ
 さらにパウロは念を押すように、悔い改めることを拒否して去って行こうとするユダヤ人たちに向かって宣言をしました。内容は厳しい宣言です。ユダヤ人が悔い改めないので、福音は異邦人に送られることになるというのです。
「28:25 こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語られたことは、まさにそのとおりでした。
28:26 『この民のところに行って、告げよ。
  あなたがたは確かに聞きはするが、
  決して悟らない。
  確かに見てはいるが、決してわからない。
28:27 この民の心は鈍くなり、
  その耳は遠く、
  その目はつぶっているからである。
  それは、彼らがその目で見、
  その耳で聞き、
  その心で悟って、立ち返り、
  わたしにいやされることのないためである。』
28:28 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」
  28:30 こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、28:31 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」
 二年の後、パウロローマ皇帝の前の裁判で無罪を獲得し、かつ、福音をあかしする機会を得て、その後、スペインにまで福音を宣べ伝え、その後、ローマで殉教したと伝えられています。そうして、67年頃に、ローマで殉教したということです。
 かつて主イエス神の国からし種に譬えました。からし種はとっても小さいものですが、それは見る見る大きくなって鳥たちが宿るようになります。そのように、神の国は、世界中に広がって行きました。そして、極東に住む私たちの島国にも及ぶことになりました。そうして、世界中の民族国語を超えてひとつの民、聖なる公同の教会となっているのです。

結び
 使徒の働きは、一見、尻切れトンボのような終わり方をしています。それは、実際終わっていないからです。主イエスの福音は、使徒たちから次の世代へと受け継がれ、世界中に広がり、今わたしたちが受け取っています。受け取ったバトンを、私たちは周囲の方たちにまた渡していくことによって、神の国はすべての国民にあかしされて行きます。そうして、最後にイスラエル民族が、主イエスのもとに立ち返り、主イエスが再臨なさいます。
 主イエスは言われました。「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」私たちもこの御国の福音の担い手として、福音のバトンを周囲の方たちに伝えて生活をしてまいりましょう。