苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖書で原発を考える(その2)  都市と文明・・・その創始者はカイン

2.都市と文明・・・その創始者はカイン

(1)都市
「それで、カインは、【主】の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。」(創世記4:16.17)

 カインはアダムとエバの子どもであり、彼はねたみのゆえに弟を殺害した史上最初の殺人者である。カインは神の御顔を避けてエデンの東、ノデの地に住み着いた。ノデというのは、放浪という意味である。放浪の地に住み着くというのは、不思議な表現であるが、神に背を向けた者にとっては、どこに住もうと落ち着くことはできないということが暗示されている。
 さて、カインは町を建てた。ジャック・エリュールは「都市の歴史がカインによって始まるということは、数多ある些末事のひとつとみなすべきではないのだ。」と指摘している(『都市の意味』p29)。都市は、カインによって建てられたことに始まり、後にはバベルの塔の事件で神のさばきを受けている。さらには、創世記は不道徳なソドムとゴモラという都市が神の裁きとして、戦乱によって苦しみを受け、最後には天変地異によって滅ぼされたことを記している。さらに、聖書に出現するもろもろの都市の運命をたどっていくならば、それらは戦乱や災害で滅びていく。
 そうした神に反抗する諸都市の始まりがカインが放浪の地に築いた町であった。カインにおいて、都市は神なき人生の偽りの安住の空間である。聖書において、都市は単なる人とものの集合体ではない。それは、なにか神に敵する霊的な力なのである。

(2)文明
 「エノクにはイラデが生まれた。イラデにはメフヤエルが生まれ、メフヤエルにはメトシャエルが生まれ、メトシャエルにはレメクが生まれた。レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダ、他のひとりの名はツィラであった。アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルであった。彼は立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった。ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。トバル・カインの妹は、ナアマであった。
   さて、レメクはその妻たちに言った。
  「アダとツィラよ。私の声を聞け。
  レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。
  私の受けた傷のためには、ひとりの人を、
  私の受けた打ち傷のためには、
  ひとりの若者を殺した。
   カインに七倍の復讐があれば、
  レメクには七十七倍。」」(創世記4:19―24)

「アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。『カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。』セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は【主】の御名によって祈ることを始めた。」(創世記4:25,26)

 さて、カインがアベルを殺した後、神は悲嘆に暮れるアダムとエバに、アベルに代わる敬虔な子セツをお与えになった。こうして人類の歴史は、神に反逆するカイン族と、神を畏れるセツ族の系譜に二分されてゆく。
 注目すべきことは、もろもろの文明的な華々しい知恵が神を畏れて祈るセツ族ではなく、神に背を向けたカイン族の中から出てきたという記述である。神の慰めを持たないカイン族は音楽を工夫することによって自らを慰め、神の養いを信じられないカイン族は生活の安定のために家畜を飼うことを始め、神の守りを信じられないカイン族は鉄と青銅の武器を工夫したということを意味するのであろう。牧畜も、音楽も、冶金業も後に神の民も採用するところとなるのだから、これらの文明的なるものそれ自体が罪深いものだと聖書が述べているわけではない。だが、その発端がカイン族にあったことがあえて啓示されていることの意味を読み取る必要がある。カイン族にとっては、都市と文明的なるものは、神に代わって彼らに安心・安全を与えるものだったのである。つまり、カイン族にとって、これらは偶像的な位置を占めていた。
 カイン族の中から最初の一夫多妻主義者レメクが登場し、彼はまた自らの強烈な暴力を妻たちに自慢している。一夫多妻という現象は、ほんらい結婚は神のかたちに造られた男と女の全人格的な出会いを、男と女がたがいに相手を自分の欲求の達成のための道具に変えてしまったことのあからさまな表れである。男は女に性欲のはけ口を求め、女は男に美的生活の経済的基盤を求める。そこに支配的な原理は「力への意思」である。対象を踏みしだき自分の欲求達成の道具とすることをよしとする力への意思が、都市文明の根本にある。
 他方、堕落前に与えられた文化命令は、「園を耕し、守れ」というものだった。「耕す(アバド)」とは、「しもべ(エベド)」と同根のことばであるから、「仕える、世話をする」とも訳しえる。被造物の世話をして生かし、これを守ることが文化命令である。こういう意味で、筆者は文化cultureと文明civilizationを、その根本精神のありようによって区別すべきであると思う。文化は神を愛し隣人を愛し被造物をいつくしむという精神の表現であり、文明は神に反抗し隣人と被造物を己の欲求のために利用するという精神の表現である。
 核兵器原子力利用は、文明的なるものの典型的な表現と思われてならない。核兵器は、神の創造の基本的なプランを壊すことによって自らも制御できないエネルギーを取り出して、莫大な数の敵を殺害する。原子力発電の維持運営のためには、名もない労働者たちを生命の危険にさらさなければならない。(ちなみに、筆者は、昨日、信州で集めたお米で野宿者支援をしている兄弟から、新宿の手配師たちは「一日40万円」で借金を抱えて生活に困窮した労働者の命を買って福島の原発に送り込んでいるという話を聞いた。一日40万円とは、生命の値だろう。)

 
  ドクダミ。白い十字架のかたちをした花なのに、かわいそうな名前。