苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

マルタの人たち

            使徒28:1−10
            2011年5月29日 小海キリスト教主日礼拝

  マルタ島

1.神の摂理に導かれて

 パウロと同船していた人々はいのちからがら、一つの島の岸にたどりつきました。けれども、クレテ島の良い港を出てから14日間、暴風に巻き込まれ、かつ夜は星が見えず昼は太陽が見えない日々が続いたので、パウロたちはいったい自分たちがどこに流れ着いたのか皆目見当がつきませんでした。そこは美しいコバルトブルーの海に白い砂浜の美しい島でした。
 島の住民たちは、沖合いで難渋して、ついに座礁してしまった船から、つぎつぎに人々が海に飛び込んで岸に泳ぎ着くのを見かけて、すぐに救助活動にあたりました。砂浜に焚き火をして、濡れたからだと着物を乾かさせ、からだがあたたまる飲み物や食べものを用意してくれたのです。
 島民に聞けば、流れ着いたこの島の名はマルタでした。地中海に突き出した長靴のかたちをしたイタリア半島の蹴っ飛ばそうとしている三角形の島の名がシチリア島で、そのシチリア島から90kmばかり南の海に浮かぶ一周25kmほどの小さな島がマルタ島です。マルタ島の美しい町は今日では世界遺産になっていて、あと有名なのは70万匹もいるという猫たちです。マルタ島の猫たちは泳いで魚をとるのだそうです。船長や航海士にも、船がいったいどこに向かっているのかわからない状況だったのですが、神様は、大風によってパウロを目的地ローマへとたしかに導いていてくださったのでした。
神から約束を与えられたはずなのに、とんでもない嵐に巻き込まれてしまうというようなことがあります。そういう嵐の只中では、いったいなにがなんだかわからない状態だったのに、最後にふたを開けてみたら、ちゃーんと神様がご自身の与えた約束を成就するために、すべてのことを働かせていてくださったのです。摂理です。
 私たちの神は摂理の神でいらっしゃいますから、嵐に巻き込まれても、不信仰に陥ってはいけません。「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。」(28:1)

 しかも、マルタ島の人々は素朴でとても親切な人でした。「島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。」(28:2)
 福音の宣教を進めていく中で、イエス様をまだ信じてはいない方たちの親切や協力というものをも神様はそなえてくださいます。神様はクリスチャンにとってだけ神であるわけではなくて、クリスチャンでない方たちにとっても神なのです。神が唯一であれば、当然、そうなのです。まことの神を知らずに歩んでいるとしても、その人たちは神のご摂理の下に生かされ、神のご計画の実現のために用いられるのです。
 私も、この地に福音を伝えに17年前に引っ越してきたわけですが、いろいろな人との出会いがありました。折々の必要にしたがって神様がご用意くださった方たちでした。この南佐久郡の地に開拓伝道に立てというご命令を十八年前の夏の松原湖でのキャンプで受けました。家に帰って妻に言いました。その二・三ヶ月のち、神様は妻に約束をくださいました。それは詩篇23篇末尾の「まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みと私を追ってくるでしょう。」ということばでした。以来、ほんとうに慈しみと恵みとが追いかけてきてくださった十七年間でした。クリスチャンの人生は、主の慈しみと恵みに追われる人生です。なんとすばらしいことでしょう。
嵐に難破したことも主の慈しみであり、親切な島民たちとの出会いもまた、主の恵みでした。

2.迷信にとらわれた人々

 さて、このようにクリスチャンでなくても、世の中にはとても親切な人というのがいるものです。私もそういう親切な人たちに助けられてきました。マルタ島の素朴な住民たちはまさにそういう人々でした。けれども、こうした親切な人々も、天地の創造主を知らないので、霊的には暗黒の中に置かれているのだということを思い知らされる出来事がパウロの身に起ります。
パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、『この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ』と互いに話し合った。」(28:3,4)
 パウロが囚人服を着ていたのか、なにかそういうしるしを付けていたのでしょうか。島民はパウロの手にまむしが取り付き、そして、「この生き物がパウロの手からぶら下がっているのを見た」とあります。それで島の人々は「そら、この男、悪いことをしていたので、バチがあたったんだ。」と思ったというわけです。私たちの同胞である日本人の多くも、こんなふうに簡単に人が不運な目にあったりすると、「バチがあたった」などと軽薄に判断しますよね。
(マムシは噛み付いたらぶら下がる性質があるということはないそうです。)

 まことの神を知らず、迷信のなかにある人々は洋の東西を問わず、また時代を問わず、同じようなことをいうものです。けれども、パウロマムシを別にどうということもなさそうに、ポイッと焚き火の中にくべてしまいます。そして何事もなかったかのように、ケロリとしているわけです。するとどうでしょう。
  「しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、『この人は神さまだ』と言いだした。」(28:3,4)
 ついさっきまで、「この人は人殺しだ。罰が当たったんだ」と言っていたのに、今度は、「この人は神様だ」と騒ぎ始めたのです。まあなんとも無責任というか、なんというか。迷信深い人々というのはえてしてこういうものです。

 私たちの周りにも真の神様を知らないけれど、結構良い人というのが多いと思います。日本という国では、特にそういう傾向があるようで、3月11日以降の震災においても、大規模な略奪や騒乱が起きませんでした。世界中は目を見張ったそうです。それはそれで感謝なことです。けれども、そういう「よい人たち」には真の神様は必要ないのでしょうか。そのような錯覚をしてしまってはいけません。そういう素朴で親切な人たちも、神様についてはまったく盲目なのです。永遠の希望のない人生を送り、そして、滅びに向かっているのです。その霊的な現実をしっかり直視する必要があります。そして、この方たちにもなんとかしてイエス様の福音を伝えたいのです。

3.パウロの宣教

 島民がみな親切であったのは、このマルタ島の首長がまた破格に親切な人だったからかもしれません。首長の名はポプリオといいました。「さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。」(28:7)あとの記述でわかるように、このときポプリオのお父さんは熱と下痢で七転八倒している真っ最中であったにもかかわらず、パウロたちをもてなしてくれたのです。
 実に三日間ももてなされて、パウロたちは恐縮していました。三日もいっしょに交流していると、パウロが何者であるのか、なんの理由で囚人という立場にあるのか、これからローマにどういうことで護送されていくのかなどといったプライベートなことにまで話題が及んだことでしょう。パウロが、この機会にイエス様の福音を語らないことを想像することは不可能に等しいことです。きっといつもの熱心をもって、ポプリオにも伝道したことは確かです。なぜなら、このあとパウロによる癒しの奇跡が起っているからです。主イエスさまでさえ、ふるさとの不信仰な人々のあいだでは奇跡を行なうことができなかったとありますから、パウロがここで癒しの奇跡を行ないえたのは、ポプリオたちがイエス様を信じるにいたっていたことを意味すると解されます。 まことの神は人間が手で作った石や木の神ではなく、天地の創造主であること。人間には神の御前に罪があり、そのままでは滅びてしまうこと。しかし、神は私たち人間を愛して尊い一人子イエス様を人として私たちのところに送ってくださったこと。イエスは、完全な愛のご生涯を送ったのち、十字架にかけられて私たちの罪の贖いを成し遂げてくださったこと。よみがえられたこと。・・・と。
 そして、パウロもポプリオから、マルタの住民たちのようすを聞き、さらに個人的な悩み事なども聞くことになりました。聞けば、ポプリオのお父さんがやんでいるということでした。重症の熱病と下痢という症状でした。そんな大変な時なのに、パウロをもてなしてくれたのですから、ずいぶんと親切な人ですね。
 パウロはいよいよ恐縮して、そして、そのお父さんの所に行って、祈って手を置いて癒しのわざを行なったのでした。「たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。」
 このことを聞いた島の人々は、パウロのところにやってきて、イエス様のことを聞き、神の御子であるイエス様には罪をゆるし、癒しをお与えになる力があることを信じて、癒してもらったのでした。(28:9)こうして、パウロ一行は島の人々から愛され尊敬されて、やがて迎えの船がローマからやってくるときには、必要な品々までもそろえてくれたのです。
(28:10)。

結び
 マルタの人々に対するパウロの伝道のようすを見ておりますと、いろいろなことを考えさせられ思い出させられました。
まずパウロはマルタの人々に助けてもらい、もてなしてもらうという経験をしました。パウロが助けてあげようというのではなくて、むしろパウロは助けてもらう立場でした。人は「助けてあげましょう」と言われると「いいえ。結構です。」ということになりがちですが、「助けてください」といわれると、『いいですよ』ということになりやすいのかもしれません。そういえば、サマリヤの井戸の傍らにいた女性に、主イエスは「水をください」と頼んだところから伝道が始まりました。パウロは意図したことではありませんが、そのように島民に助けてもらうというなかで交流が深まったのでした。
「困っているでしょう。福音を教えてあげましょう」といっても福音を聞く人はなかなかいないなあと思います。むしろ、関係作りにおいては助けてください、教えてくださいと相手の懐に入っていくことがたいせつなんだなと思います。

マルタの人々を見ると、これはまあなんと親切な人々でしょう。世の中には確かに神様を恐れない変な人、悪い人もいるものですが、まことの神様を知らないにもかかわらず、クリスチャンよりも親切な人たち、立派な方たちが結構世の中に入るものです。そういう方もまた、神様にいのちをいただいて生かされているのです。あなたを生かしてくださっている、神様を知ってください。あなたを愛していてくださるイエス様を知ってくださいとお伝えする機会を見つけてゆきたいものです。パウロが交流をもち、自分のことを知ってもらい、そして、相手の心の痛みを知るようになり、愛のわざとしての癒しを行い、・・・そういう人格的な交流を通してキリストの福音を証して行ったのでした。
マルタにおけるパウロの伝道の姿は、アテネにおける、コリントにおける、ルステラにおけるのとは、ずいぶん違う雰囲気のものでした。それぞれの地において、それぞれの状況での伝道があったのですから、キリストの福音が語られているかぎり、どれがよくてどれが悪いとはいいません。パウロがどこかから来た律法の先生といういでたちではなく、囚人という立場であり、漂流してきた避難民といったことも関係しているのかもしれません。低い立場に彼があったからということもできましょう。そのようにもてなされながら、パウロは自己紹介をし交流をもち、そうして今度は自分のイエスの福音といやしの奉仕をしていくことになったのでした。
私自身、このことからこの地における伝道ということについて身を低くしてしていかないといけないなあと思ったことです。みなさんも、ご家族の中でも、まず身を低くして、家族ひとりひとりに感謝を表わしながらすごすこと、それがキリストの福音のとおり管として、あなたがご家族の中に置かれている中でまずとても大切なことなのではないでしょうか。