苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ヒゼキヤ王を笑えるか?

 昔、ユダ王国にヒゼキヤという王がいた。彼は立派な王とされ、軍事帝国の侵攻によって滅亡寸前のときにも、神に祈って揺るぐことなく国を守ることができた。また、皮膚がんに犯されたときも、神から干しイチジクを用いよと特別な知識を与えられて癒されることができた。
 ところが、病がいえて上機嫌のヒゼキヤのところにバビロンの王から使者が来て、手紙と豪華な贈り物をヒゼキヤに届けた。ヒゼキヤはバビロンからの使者に自慢したかったのであろう。彼らにソロモン王以来のすべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫を彼らに見せてしまったのだった。使者は目を輝かせ舌なめずりをしながら、それらを見た。
 使者が帰ったのち、預言者イザヤがヒゼキヤに言った。「主のことばを聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。」
 するとヒゼキヤはなんと言っただろう。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思ったからである。(第二列王記二十章より抜粋)
 
 原発のことを考えるときに、いつもこのヒゼキヤ王のことを思い出す。旧約聖書列王記の中では、神を畏れ業績も豊かな数少ない王の一人であったヒゼキヤであるのに、彼に関する最後の記事が、右の記事であることに非常に残念な思いがする。
 歴史書を紐解けば、ヒゼキヤが世を去るのは紀元前六八七年。そして、エルサレムがバビロンに滅ぼされてしまうのが、紀元前五八六年であるから、百年後にイザヤのことばは成就してしまうことになる。
王というものは、思慮深く、視野が今の世代ばかりでなく子孫たちの時代にまで広がっていなければならない。今の時代の繁栄だけでなく、後の世代の幸福までも配慮した決断をしてこそ、歴史に名を遺す名君ということができるだろう。
 ところが、ヒゼキヤは言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思ったからである。なんという卑しく情けないことばであろうか。彼の器の小ささを見ないわけにはいかない。この一点ゆえに、ヒゼキヤは決して名君ということはできない。
 原子力発電によって生じる放射性物質のうち特に毒性が強く危険なプルトニウム半減期が二万四千年と言われる。監視が要らなくなるには百万年かかるという。そのプルトニウム青森県六ヶ所村にはすでに三千トンで満杯となったので、仕方ないので、全国五十四基の原子炉建屋にも莫大な量が保管されている。原発を止めようともせず、子孫にこんなものを押し付ける我々にヒゼキヤを笑う資格があるだろうか。(通信小海211号)