苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

十字架と復活のことば

           使徒25:23-26:末
           2011年5月8日 小海主日礼拝


1.使徒の働き、ここまでの概要

 復活の主イエスは弟子たちに、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とおっしゃって天にのぼって行かれました。
 このおことばには、使徒の働きの概要が表わされています。すなわち、まず聖霊が初代教会に注がれ、聖霊の力によって弟子たちは、エルサレムユダヤ・サマリヤに伝道します。それが本書の前半。そして、後半になりますと、使徒パウロによる「地の果て」つまり異邦人伝道活動がおもに記されています。
 お読みした箇所に登場する使徒パウロという人物は、もともとはキリスト教に反対するユダヤ教の側の優秀かつ熱烈な教師でした。しかし、主エスは彼を捕まえて回心させ、ご自分の持ち駒として世界宣教へと派遣なさったのです。つい先日、高校時代からの友Mくんがたずねてくれました。もう35年も前になるのですが、そのころ私はキリスト教が嫌いでクリスチャンのM君が棄教するようにと、たびたび議論をふっかけていたのです。ところが、大学にはいると突然、熱心なキリスト教徒に変身したので、Mくんはあきれたのでした。主は今も生きておられて、主に捕らえられた者は、新しくつくりかえられるのです。
 さて、パウロは、これまで小アジア半島、マケドニヤ半島にキリストを伝えて数々の教会をスタートさせてきました。パウロとしては次に都ローマに、さらにその先のスペインに福音を伝えたいと願っていましたが、その前にエルサレムのセンター教会に行って、これまでの小アジア、マケドニヤでの伝道と教会が分派ではなく、同じ公同の教会であることを認めてもらった上で、ローマやイスパニアに行こうと考えていました。けれどもエルサレムユダヤ教の総本山でしたから、パウロは裏切り者として付けねらわれていました。
 実際、パウロエルサレムにまず行って使徒たちと交流をもったのですが、その後、案の定、パウロエルサレム神殿で危うく暴徒に殺されそうになります。そこをローマの官憲がパウロを暴徒から保護して逮捕し、カイザリヤに移送します。ユダヤ人がパウロを激しく訴えていましたから裁判を行なわねばなりません。しかし、はじめの3年間、パウロは怠け者の総督のもとで裁判もまともに行われないままに軟禁状態に置かれました。しかし、3年経ってフェストというばりばり仕事のできる総督に代わったとたんに取り調べが始まりました。その結果、パウロはローマの法に触れる悪事は何一つ働いていないことが判明しました。けれども、パウロは不当な逮捕をされたということで、自分ははるかかなたローマ皇帝の法廷に上訴すると主張していたのです。
 取調べにあたったフェストは、実はどうしたものかと頭を抱えていました。フェストの調べでは格別、パウロは法に触れていないので釈放してしまうのが簡単でしたが、当人がローマ皇帝に上訴すると言っている以上、当時の法律ではそれを認めざるをえませんでした。それで、折からパウロに興味をもってやってきたアグリッパという王にパウロを調べてもらおうということになりました。これが、本日の聖書箇所です。

2.主イエスとの出会い

 まず、パウロの自己紹介です。その要点は、26:5「私は私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。」ということです。パリサイ人のパウロは、生真面目に一つ一つの律法を踏み行うことによって救いを得ようとして生きてきました。そうして生きることの報酬として、神はさばきにおいて復活のいのちをくださると信じていました。

 ところが、イエスとその弟子たちは、神の前に人はすべて罪人であり、自分の罪をすなおに認めて、神様にごめんなさいと申し上げてすがるならば、罪赦されて救われると教えているというのでした。必死になって律法の片言隻句まで守ろうとして生きてきたパウロ(当時サウロ)からすれば、けしからん異端的教えでした。 
 そこで、パウロキリスト教会を迫害したのです。エルサレムで、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。
 大祭司たちの許可を得て、ダマスコに避難したキリスト教徒たちを迫害する為に、パウロは向かいました。ところが、そこで彼は復活の主イエスの強い光に打たれ、啓示を受けるのです。主イエスパウロに対して(当時はサウロ)二つのことをおっしゃいました。
 第一は、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」ということです。主イエスは「なぜわたしを信じる者たちを迫害するのか?」とはおっしゃいませんでした。キリスト教会とキリストとはこれほどに一体のものなのだということです。私たちが苦しむときに主イエスがともに苦しんでいてくださるのです。不思議なことですがイエス様と私たちはこんなにもちかしい関係なのです。キリスト教会は、キリストの神秘体であるのです。
 パウロは手紙の中でしばしば「教会はキリストのからだである」と言いますが、それは単なるたとえの一つではありません。リアリティなのです。
 第二は、主はパウロを特に異邦人に対してキリストの福音を宣べ伝えるという任務をお与えになるということです。エルサレム教会はなかなか異邦人に対して伝道をしていくということが実践できませんでした。タルソ生まれで、外国語のできたパウロは異邦人伝道に適任でした。
 託されたメッセージは、「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」ということです。また、 26:23 「すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」
 イエス様は、私たちの罪の罰を身代わりに背負って十字架で苦しみを受け、三日目に死者の中からよみがえって私たちに罪のゆるしと永遠のいのち、復活の望みを与えてくださいました。<キリストが十字架に苦しみを受け、三日目に復活してくださった>という事実、これが福音です。このことがわかり、このイエス様を信じたら何民族であろうと、身分が高かろうと低かろうと、大人だろうと子どもだろうと救われて、神の子どもとされて、何の為に生きているのかわからない暗闇の中から、神の栄光のために生きるという光のなかに移されます。最後は希望のない死にいたる人生から、天国への希望ある人生にうつされるのです。

3.伝道者パウロ

 パウロがキリストの十字架の苦しみと復活の福音を述べますと、フェストが叫びました。「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」。当時地中海世界における著名な大学者ガマリエルを知らぬ人はいなかったそうですが、パウロはその優秀な弟子として有名でした。勉強しすぎて頭おかしくなったのか?というのです。
 このことばを読むと、私は49歳で教会に行き始めたころの父のことを思い出します。父は増永牧師と同年代で、増永先生という方は学者さんのような方で、先生の書斎には、日本語でない本が本棚にぎっしりつまっていました。父は「増永先生は頭ええんやなあ。英語もぺらぺらやで」と言いました。ところが、しばらく教会に通ったころ、父は「増永先生、あんな聖書の話ほんきで信じとうのかなあ。アダムとかエバとか。イエス様が、死んだけれども、三日目によみがえったとか、まじめな顔して話しよったで。」というのです。「あなたの学識があなたを狂わせている」というわけです。
 確かにキリスト教というのはとても不思議なものです。そこには、たいへん知的な側面と、一見すると荒唐無稽な面が同居しています。キリストの福音が浸透した社会では、教育水準が上がり文化が栄えます。知恵ある神がお造りになった世界を、神がくださった知性をもって理解することが科学です。近代科学はキリスト教を背景として始まりました。ケプラーガリレオもパルカルもみな敬虔なキリスト教徒でした。
 しかし、同時に私たちキリスト者が信じていることは、神を認めない人たちの常識に反する実に不思議なことです。万物の創造主である神のひとり子が、二千年前に人となって、この世に来られ、数々の奇跡を行ない、私たちの罪を十字架の苦しみによって解決してゆるしてくださったこと、そして、よみがえって私たちに罪のゆるしと永遠の復活のいのちをくださった。ケンブリッジの大学教授であっても、クリスチャンであるならば、このきわめて素朴なイエス様の出来事を信じているのです。キリストの出来事は、神話ではなく、歴史の中に起こった出来事です。
 増永牧師はよくおっしゃいました。「キリスト者は、最高の知性と、幼子のような信仰を併せ持っているべきです。」だれもが最高の知性など持ち合わせるわけには行きませんが、でも神をおそれる健全な知識と、すなおな信仰の両方をたいせつにする生き方を私たちはしたいものです。

 さて、パウロは、旧約聖書のことも、ユダヤにおいて起ったこともよく知っているアグリッパに向かって、パウロは言います。「王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。」
 ナザレにイエスという男が現れて、多くの奇跡を行ない、愛の教えを説き、学者たちの偽善をあばいたこと。その結果、学者や権力者はイエスをつかまえて不当な裁判にかけて、エスを十字架につけたこと、ところが三日目によみがえった墓は空っぽだったという出来事は、当時エルサレムにいた人々が知っていたことです。ユダヤ教の当局が隠そうとすればするほど、みなの知るところとなりました。キリストの事実については、アグリッパ王も知らないわけがなかったのです。
 それでパウロはアグリッパにも回心を迫ります。彼はたじろいでしまいました。「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。パウロは答えます。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」
 伝道者パウロの面目躍如というところです。相手が王であろうと、庶民であろうと、金持ちであろうと、貧乏人であろうと、大人であろうと子どもであろうと、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、パウロにとっては伝道の対象でした。パウロは学者ではありません。パウロは伝道者でした。

 このままではクリスチャンにされてしまうと恐れを感じたのでしょう。その場の人々はいっせいに立ち上がりました。そして不思議に思ってたがいに話したのです。「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない。」 またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに」と言った。
 まさにそのとおりでした。パウロは無罪放免となるところでした。パウロのねらいは裁判で勝つことではありませんでした。パウロの上訴のねらいとはなにか?それは、カイザルつまりローマ皇帝に会って、キリストの十字架と復活の福音を伝えることでした。「皇帝陛下。主イエスは、あなたの罪のために十字架に死に、三日目によみがえって、あなたに復活のいのちをくださったのです。悔い改めて、イエスを信じなさい。」と伝えることを望んでいたのでした。見上げた伝道者スピリットです。さすがです。
 十字架と復活のことば、すなわち、キリストの福音によって人は誰でも救われるのです。