苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神のことばが正しく語られ、聴かれるところに、真の教会がある

 29日は信州宣教区会議のため、長野福音教会に出かけた。行きがけ、隣のK先生といつものように冗談ばかり話をしていると、降りるべきインターを通りすぎてしまった。というわけで、次のインターで降りてきのうに続いて、小布施の杏の園の花見をしながら会場に向かった。「よかったわ。花見ができて。」と連れて行った、実にいい性格の姉妹が言ってくれた。「私がドライバーでよかったでしょう。これも神様の計画だったんですよ。」と筆者は全然反省の色なし。春霞のかかる大きな山々を背景に、どこまでも続く濃いピンクの杏の園、そして桃の園。桃源郷だ。

 そんなホワ〜ンとした春の気分で会場に到着したが、午前中は、朝岡勝牧師をむかえて信徒セミナーは、そんな気分を払拭する、声が裏返るほど熱が入った講演だった。主題は「『教会』を考える」だった。
 「教会とは何か?」という問いは、勝師にとって中学生から高校生にかけての父(朝岡茂師)の闘病と召天という出来事に根ざしている。そうした状況のなかで、「これから教会はどうなっていくのだろう?」という不安のなかに置かれていた。しかし、いかなる状況の中でも、教会は主日ごとに一度も欠けることなく説教者が備えられて、神のことばが語られ、神のことばが聴かれ続けたのだった。勝師はこうした出来事をとおして「教会というものは、みことばが語られさえずれば何とか立ち行くものなのだ」という漠然とした確信を、与えられたという。
 カルヴァンは「神のことばが正しく語られ、聴かれるところに、真の教会がある」と言ったが、このことを若い日の師は経験したということになる。話は二つの聖書のことばマタイ18:19,20と使徒20:32への傾聴に進む。
「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。 ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:19,29)と主イエスが言われたとおり、教会とは礼拝とは主イエスの現臨なさるところである。では教会において主イエスはどのように現臨なさるかといえば、とりもなおさず神のみことばが語られ聴かれる礼拝の場にこそ現臨なさるのである。「今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。 」(使徒20:32)
 さらに、師の話は、ハイデルベルク第54問へと展開するが、ここでは省略する。一貫するのは、「神のことばが正しく語られ、正しく聴かれるところに真の教会がある」という主題であった。


 師は今回の震災を受けて対策本部で中心になって奉仕をし、震災現場にも幾度となく足を運ぶ経験をとおして、学びかつ教えてきた「教会とは何か」ということをもう一度根本から問い直される思いがしており、まだ、そうした根本的な問に対する答えを得たわけではないと言われる。いろいろと悩んだ後に、新たな答えを得ることになるのか、あるいは同じ答えにたどりつくのか、わからない、と。
 とくに救援活動のなかで他キリスト教団体の一人の牧師が、「自分の団体はただの一つの教会も東北になかったということに衝撃を受けた」と話していたことが紹介された。同盟教団には、福島・茨城に多くの群れがあるほか、岩手と仙台にひとつずつ教会があるとはいえ、被災した三陸海岸の町々には教会がなかった。三陸地方にはキリスト教会全体で七つの教会しか存在しない。キリスト教会が東北地方の福音宣教に取り組むことにおいていかに手薄であったことか。
 講演後、東北出身のO牧師が指摘されたのだが、結局(という言い方がよいかどうかわからないが)、ある程度の規模の教会が形成されて、会堂を得て牧師を経済的に支えるという見通しが厳しい三陸の小さな町々への宣教がなおざりにされてきたという事実の表れなのである。世に言う効率主義というほどではないが、経済の現実が、因習が強く貧しい地域への開拓伝道と教会形成の前に立ちはだかってきた。

 筆者は神学生時代に農村伝道への志と召しを与えられて、卒業後10年目から信州の山里に伝道と教会形成のために生きて17年が経った。振り返れば、ただ主の召しがあり、あらゆる面で神の恵み深い導きがあったから続けられたことである。開拓当初から福音のためには何でもしようといろいろなことをしたけれど、ずっと続けてきたことは、神のことばを広く、深く伝え続けるということだけだった。
 ただ、「神のことばが正しく語られ、正しく聴かれるところ」を教会とするプロテスタント教会の本質にかかわる限界なのかと思わせられるのは、賜物と神学的訓練を受けた者でなければ、何度かの感話はできても、神の民を建て上げていくみことばの説教をし続けることがむずかしいだろうということである。そうだとすると、O牧師が言われるように、会堂を建て牧師を経済的に支えることができる群れが形成される見通しが立ちにくい農村・漁村への伝道については、プロテスタント教会はいつまでも二の足を踏むことになる。・・・それでよいとは思えない。

 考えてみれば、これは現代日本だけの課題ではなく、異邦人伝道を志した初代教会が経験したことであった。異邦人への使徒パウロは生涯テント職人をしながら開拓伝道した。パウロも教えるとおり、神の民(教会)が伝道者を支えることは主イエスが教えた原則であるが、開拓伝道ではそうは行かない。パウロは私財を用い、テントを作り、マケドニヤの諸教会からのサポートを受けながら開拓伝道に励んだ。現代日本でも、田舎での伝道はさほど状況は変わらない。
 ただ、このような働きは、主の召しがあってこそ続けられるのだと思うから、軽々に他人に勧めることはできないと感じる。とはいえ、主にそうした地への召しを受けた主のしもべは、やはり後先考えずに「エイヤッ!」と立ち上がるほかないし、それが一番しあわせな道である。主のしもべは、人の評価でなく、ただ主の評価のためにのみ生きる者であるから。空の鳥を養い野のゆりを装わせたまう主は、そのように従ってくる者を飢えさせることはなさらない。慈しみと恵みが追いかけてくる。
「わたしの生きているかぎりは
 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
 わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。」詩篇23:6