苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

第一世代原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」

 (少し前に書きながら、蔵に収めておいた記事です)

 現職の原発推進派の学者たちが、東電の広告塔にすぎないことがTVニュースで国民の前にわかりやすく暴露され、「御用学者」「東電の幇間学者」と呼ばれ放題に呼ばれている状況のなかで、彼らの先輩たち、原発推進第一世代の重鎮たちが国民に向かってざんげをした。この世代の学者たちの初志は、間違っていたにしても、戦後、日本という国の繁栄のためと信じて原発を推進してきたのであろう。間違いを認めるところが、東電や政治家や官僚や、第二世代の学者たちとちがうところである。
 原発破綻の事実を事実として受け止め、かつそれを自分たちの責任だと感じている点に、現在の原発第二世代のTVに出演して「だいじょうぶ」しか言わない学者たちと質の違いを感じる。しかし、彼らが信じ、その人生をかけてきた原発が今この日本という国を滅ぼそうとしている。なんという悲劇であろうか。
 彼らを非難する声も聞く。しかし、謝る人をゆるさないわけには行かない。彼らが、今後責任をもって原発の本質的問題性をきちんと説き、日本のエネルギー政策の転換のために働くならば、彼らの肩書きが肩書きであるだけに、その社会的な影響力は大きい。
以下引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2011年4月16日 13時17分 (Jcastニュース2011年4月16日 13時18分 更新)

東京電力の福島第1原子力発電所の深刻な事故を受け、政府の原子力安全委員会の歴代委員長を含む原発推進派学者の重鎮たちが原発の「安全神話」崩壊に懺悔を繰り返している。特に元原子力安全委員長の松浦祥次郎氏や前原子力委員会委員長代理の田中俊一氏ら原発推進の学者16人がこのほど、異例の緊急提言を行った。
原子力の平和利用を先頭だって進めてきた者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝する」との謝罪を前面に掲げた提言の内容は政府や東電の発表よりも今回の事故を深刻に受け止めており、緊迫感が伝わってくる。
  大量の放射能を閉じ込めるのは極めて困難、と認める「私たちは事故の推移を固唾を飲んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、事故を終息させる見通しが得られていない」「膨大な放射性物質は圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている」「特に懸念されることは溶融炉心が圧力容器を溶かし、格納容器に移り、大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである」
提言は、水素爆発などで格納容器が破壊され、放射性物質が長期にわたり国土を汚染する可能性を指摘している。日本を代表する学者たちが、チェルノブイリ原発事故級の最悪の事態を想定していることがわかる。16人は東京大学名誉教授、京都大学名誉教授、東京工業大学名誉教授など錚々たるメンバーで、原子力安全委員会原子力委員会の歴代委員長や委員を務めるなどした日本を代表する原子力の専門家たちだけに、発言には重みがある。特に気になるのは、「当面なすべきことは原子炉及び使用済み核燃料プール内の燃料の冷却を安定させ、大量の放射能を閉じ込めること。これを達成することは極めて困難であるが、これを達成できなければ事故の終息は覚束ない」と述べた点で、有効な解決策を見いだすのが難しいことを自ら認めているとも受け取れる発言だ。
2011年4月1日、会見した田中俊一氏は「原子力の平和利用を進めて、まさかこういう事態、これほど国民に迷惑をかけるような事態は予測していなかった。結果的にこういうことになっていることについて、原子力を進めてきた人間として、国民に謝らなくてはならないという気持ちは、みんな持っていると思う」と心境を明かした。田中氏は提言をまとめた理由について「(我々は)余計なことを言わなくてもいい年齢だけれども、黙っていられないと。とにかく早くこの状況を抜け出して頂きたいという思いでまとめた」と述べた。学会で地位も名誉もある学者たちが、自分たちのこれまでの仕事を全否定するような今回の提言や会見が、事故の深刻さを物語っている。
提言は、最後に事態打開策について「当面の難局を乗り切るためには、関係省庁に加え、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的な取り組みが必須である」と指摘する。
〜〜〜〜〜〜〜引用、以上〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

追記2011年4月26日朝>
 筆者がこの記事に驚いたのは、この原発学者たちはカネのためではなくて、どうやら本気で「原発は安全だ」と信じて推進してきたらしいということである。原発をやる以上、必然的に蓄積してゆくやりばのない放射性廃棄物の問題など、眼中になかったのだろうか。
追記その2 同日に>
 また、放射性廃棄物については、今なお第一世代の人々もスルーしてしまっているようである。原発の事故については反省しながらも、原発そのものの本質的な欠陥については、きちんと総括しているとは思われない。「本質的な欠陥」という意味は、原発原発である限り切っても切れない欠陥であり、改良では解決しない欠陥という意味である。
追記その3 翌日に>
 筆者は、前から言っているように原発には本質的欠陥が三つあると考える。一つは放射能による環境汚染。一つは原発維持のためには被曝労働者を必要とすること。一つは原子を破壊してまでエネルギーを得ようとする原子力技術は創造主のプランに対する不遜であること。
 第一世代の原発学者たちに期待したいのは、原発の本質的欠陥を悟って、脱原発を訴える人たちになってほしいということである。