苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ひな祭り雑感    追記あり3月4日

 
 今日は三月三日で、耳の日である。別名、ひな祭りの日ともいう。ひな祭りは、「お内裏様とお雛様・・・」ということで、お内裏さまとは天子を意味する。領主をその住まいである館から「お館さま」と呼ぶのと同じように、天子を婉曲に呼ぶ呼び方として「お内裏さま」である。だから、天皇制の嫌いな人が「我々は断固ひな祭りをボイコットするぞ!」というふうな文章を書いているかなと思ったが、意外とそんなふうな文章は見当たらなかった。
 私は昔、国文学者を志したことがあって、せっかくやるならということで、学部入学と同時に国文学史における頂点の源氏物語を岩波の古典文学大系でそろえたことがある。そろえただけに終わったが。天皇についていろいろ意見はあるし、格別、明治以降、富国強兵政策のためにつくられた国家神道天皇制によって左翼や宗教界はずいぶんひどい目に遭ったのは歴史の事実である。けれども、あの祭司王の家系が「万世一系」は虚構であるにしても、ふしぎなほど長く続いてきたことは一つの事実であり、それが日本において文化的な伝統を成していることもまた一つの事実であることは認めるほかはないと思う。その上で、これをどのように聖化するのかということではなかろうかと思うのだ。モーセがエジプトからはぎとった貴金属を溶かして、幕屋の調度品を作ったように。
 武田清子さんが、かつて福音と文化の関係を、対決型、孤立型、接木型、孤立型などと分類したけれど、溶解して作り直すというのがよいのかな、などと思うこのごろ。

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 それはそれとして、「あかりをつけましょ爆弾に」という替え歌を知っているだろうか。この歌は筆者の子どものころにはなかったもので、うちの子たちが歌っているのを聞いて、ひどい歌だなあと呆れた。地方でいろいろヴァージョンがあるようだが、変な歌だ。
 「七つの子」「あかとんぼの歌」もそうなのだが、本来の歌を聴いたことがなくて、いきなり最初から替え歌だけ覚えるというのはどういうものかなと思う。

以上、雑感。

<追記3月4日>ひな祭りボイコット運動が起らないのは、文部科学省が国策としてひな祭りを国民に強要しないからであって、「ひな祭り法制化」なんてことが起ってきたら、やはり問題になるんだろう。あのお内裏様がてっぺんにいるひな壇は、身分制度を認めるものだからだめだ、非民主主義的だとかいうふうに。何事につけ、国が国民の心にズカズカ入り込むのはよろしくない。

  内裏 「あのー、たまにはお話したいんですが。」

  雛 「久しぶりにお顔を見ますね。」

  内裏「お元気ですか。」

  雛 「ええ。あなたは?」