苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

東京のモスク

 先日、N牧師といっしょにイスラームのモスク、東京ジャーミイ(トルコ文化センター)を見学した。教団事務所から徒歩15分ほどの場所である。代々木上原駅からなら4分ほど。何年も前から一度見学したいものだと思いながら、会議漬けでなかなか時間が作れなかったがやっと今日、願いがかなった。教団事務所から笹塚方面に歩いて、最初の信号で左に折れ、二つ目の信号で左に折れ前方を望むと、あった。百メートルほど先、右手にモスクの白い尖塔が見える。

 近づけば、白亜の壁、青い屋根と圧倒される高さの尖塔、尖塔の頂に輝く黄金の三日月。よく東京でこんな細くて高い石造の建造物の許可が下りたものだと感心した。

 玄関ホールにはいるとしーんとした別世界。



 トルコ人の館員の男性に許可をいただいて、二階の礼拝堂を見学させていただく。礼拝堂の前は美しい青と白の縞模様のアーチになっており、入り口は見事な寄木細工。その上には金のアラビア文字で何かが書かれている。イスラームでは彫刻・絵画が偶像として厳禁されているので、デザイン化されたアラビア文字のことばがあちらこちらに記されている。残念ながら筆者には読めない。



 いよいよ礼拝堂の門を開ける。床には青い絨毯が敷き詰められていて、椅子は置かれていない。正面にコーランを読むためのスペースがあって、両脇に太いローソクがある。右には飛行機の乗るときのタラップのようなものがあり、頂にはとんがり屋根がついていて、下の入り口には幕がかけられている。見上げると、中央の丸天井に自然の陽光がはいって実に美しい。窓ガラスはステンドグラスであるが、それらはやはり人物の絵画ではなく幾何学的デザインかデザイン化された文字である。まるでアラビアン・ナイトの世界に迷い込んだかのような印象。
 礼拝の時刻になれば多くのムスリムが訪れて賑やかなのだろうが、人のいないときに訪ねたので実に静謐な空間であった。徹底的に偶像めいたものを排し、色彩は白と青を基調とし要所に金色を配した空間は、中世ヨーロッパの暗く聖母子像などがある礼拝堂や仏像の安置された寺院のような不気味さはまったくなくて、さばさばとした印象である。他のモスクの内部の写真を見てみても、同じような印象を受ける。もしこのような装飾がなされていて、正面になんらかの像があったらきっとまがまがしいと印象が残ると思うのだが、それがないことでさわやかな印象のみ残った。





 もう一度、一階ホールに降りて、展示された美しい陶磁器を見せていただき、モスクを後にした。イエスをあくまでも預言者の一人としか認めないという、異なる信仰ではあるけれど、自らの信じる絶対者のためには妥協なく最高に美しいものをささげようという敬虔な意思はみごとなものであると思った。
また、シルクロードの東西に位置するトルコと日本の歴史的な位置についても思いを馳せた。筆者の学生時代、世界史というと西洋と中国を中心に教えられたものだが、ヨーロッパ中世と呼ばれる時代、世界文明の中心はイスラーム世界にあったのであり、セルジュク朝、オスマン朝を開いたトルコは長きに渡ってその覇者だった。そして、日本とトルコといえば、1890年エルトゥールル号遭難事件以来の友誼である。それについては、また明日。