苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

信仰の三段論法

 8:5さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、 8:6「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」。 8:7イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。 8:8そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。 8:9わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。 8:10イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。 8:11なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、 8:12この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。 8:13それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。(マタイ福音書8章5-13節 口語訳)
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 多くの人々がイエス様にお会いしたが、イエス様が称賛したほどの信仰を見せた人は、福音書のなかに二人しかいない。しかも彼らは異邦人である。その一人が、このローマの百人隊長だった。
 百人隊長の信仰は単純明快・論理的信仰である。私は彼の信仰を三段論法的信仰と呼びたい。三段論法とは、
大前提:「すべて犬はワンとほえる。」
小前提:「ところで、ポチは犬である。」
結論: 「したがって、ポチはワンと吼える。」
という論法である。
 百人隊長の信仰の内容は、
大前提:「すべて権威の下にある者は、権威のことばに従う。」
小前提:「しもべの病気は、イエス様の権威の下にある。」
結論: 「したがって、しもべの病気は主イエスが『去れ』と言えば、立ち去る。」
 ということであった。いかにも軍人らしい信仰ではないか。
 科学者には神を信じる人々が、存外、多い。米国の自然科学者たちのアンケートによれば、その八割が創造主なる神の存在を信じると答えている。彼らの論理は明快である。「すべて秩序あるものには、設計者がいる。ところで、この宇宙・自然・人体には秩序がある。したがって、この宇宙・自然・人体には設計者である神が存在する」ということであろう。
 聖書的な信仰とは、不合理な迷信の世界に身を投じることではない。むしろ、屁理屈を捨てて、造られた者として創造主に感謝し、その摂理にしたがう、人として生きるべきまっとうな道に進むことにほかならない。
「神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。」伝道者7:29
(通信小海85号より)

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