苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

白鳥と亀・・・・第一回信州宣教区カーリング大会


 1月13日、第一回信州宣教区でカーリング大会を行なった。会場は、長野オリンピックが行なわれたスカップ軽井沢という体育館である。ロビーに入ると正面がガラス張りの金魚鉢になっていて、すでに、金魚鉢の中では赤いユニフォームの女性たちが優雅に練習をしている。
時間になると、信州のあちこちの教会から、就学前の子どもからおばあちゃんまで楽しそうな顔の人たちが次々に集まってきた。当初、係りの人たちは参加者は6名くらいかなと思われたそうだが、当日は4人ずつのチームを8つも編成する大会となった。小海の教会からの参加者は「チーム八ヶ岳」とMBCの「チーム白樺」に分かれて、はみでた一人はどこかのチームに入った。「八ヶ岳チーム」「白樺チーム」というより、「チームなんたら」と言ったほうがなんとなくかっこいいのだ。「小海通信」より「通信小海」のほうがかっこいいのと同じ(でも17年たっても教会には「小海通信」と呼ぶ人がいる)。筆者は平均年齢46歳くらいのチーム八ヶ岳。博彦さん、美樹さん夫婦と私たち夫婦である。
 金魚鉢に入ると、水が凍っている浅い50メートルプールという感じで、レーンは4つある。8チームによるトーナメント戦である。どんなふうにして石を的に向かってすべらせるのか、ちょっと説明しよう。
 利き足が右のばあいで説明してみる。まず、左足の靴の上につるつるすべるカバーを履く。右足をスターティングブロックみたいな黒いゴムにひっかけて、左足をうしろに引く。右手でストーン(漬物石みたいなの)の柄を持ち、左の小脇にデッキブラシみたいなのを挟んでバランスを取る。あれはデッキブラシでなく、棒のついた黒板消みたいなものだった。これで構えは完了。
 そして、つるつるすべる左足を前に踏み出す。すると、右手の漬物石には体重をかけず、左小脇にはさんだ黒板消しで少々支えつつバランスをとりながら白鳥のように優雅に前にスーッと滑り出してゆく・・・はずである。実際には、バランスがとれずにこけたり、勢いが足りなくて50センチ進んだら止まってしまったり、なんとかリリース地点にたどりつくために止まるまいとして右足でよいしょよいしょと漕いだりする。「先生、カメみたいにのたのた進んでたよね。そして最後にポイッて投げて、あれ反則じゃないの。」と博彦さんに言われた。でも、亀としてはそんな非難にめげずに得点する意志が重要である。
 練習をすると、これで試合になるのかなと思った。優雅にスーッと行く白鳥のストーンはことごとく、エンドラインを超えて向こうの壁にぶつかってアウトになってしまう。のたのたしている亀たちの漬物石は的のはるか手前に止まって、排除されてしまう。的の向こうのエンドラインと、的の手前のラインの間をハウスというが、このハウスに止めるのは至難のわざである。博彦さんは白鳥で向こうの壁にドーン、亀の筆者と筆者以上に亀の妻の漬物石はハウスの手前で止まる。美樹さんもどっちかというと亀だった。・・・練習は一回。さあ準備万端?
 8チームのトーナメント戦である。意外なことに、白鳥たちのストーンはほとんどエンドラインを越えて壁ドンで得点できず、ハウスに停まるのは亀たちの漬物石であるというケースが多かった。結果、チーム八ヶ岳は準決勝まで進んだ。だが準決勝で同点となって、最後はじゃんけんで負けて、三位決定戦で勝ってみごと銅メダルだった。第一回信州宣教区カーリング大会優勝チームは・・・・どこか忘れた。自分たちのことで精一杯だったから。そういえば、松岡修三さんが取材に来ていた。私たちを取材するため・・・ではなく、練習している赤いユニフォームの白鳥たちとその監督に取材するためだったようだ。だが、私たちが大騒ぎして遊んでいて、誰も注目しないので心なしか寂しそうに帰っていった。
 それにしても面白かった。寒かろうと思っていっぱい着込んでいったら、汗びっしょりになってしまった。帰り道の池に白鳥がいた。ツルヤの駐車場に車を停めて、窓から雪をいただいた浅間山を眺めながら、妻といなり寿司を食べた。おいしかった。また食べたい。

構え完了

イメージトレーニング 投げたつもり

リリース直後の筆者の後ろ姿。たしかに服も亀に似ている。前方にすべっていく石に注目。

ちゃんと的に停まった!

喜ぶ亀。辻浦先生が撮ってくれました。

最後にみんなでパチリ。

会場の近所に白鳥が来ていました。


浅間山