苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

近現代教会史6 自由主義神学の挫折と弁証法神学・・・・・・・20世紀(1)

はじめに 時代の空気
 自由主義神学は西洋文明によって、世界は進歩していくという楽観的な時代の空気のなかに生まれた。リッチュルの教えた「神の国」は、その典型である。彼らは人間の当面の不完全性も道徳の教師イエスを模範とすることによって克服され、地上には神の国が到来すると信じたのである。19世紀、すでに預言者的な哲学者キェルケゴールはすでに、近代の欠陥を感じ取っていたのであるが。いや17世紀の思想家パスカルも、そうであった。
 ところが、二十世紀を迎え二つの世界大戦によって、人間と文明に対する楽観主義は決定的な打撃を受けた。思想界においてもシュペングラーの『西洋の没落』というような本が登場する。また第二次大戦におけるナチズムのなしたことは、人間というものの底知れぬ罪深さを我々の前に暴露した(フランクル『夜と霧』は必読) 。近代と現代の世界ではともに科学的合理主義が支配的であるが、近代人と現代人には違いがある。近代人は科学が人類と世界を幸福にすると信じたが、現代人はもはや科学が人類と世界を破滅に導くであろうという予感を抱きながら、なお科学にしがみつき、神秘的世界へ逃避している。

1.実存主義弁証法神学
(1)既製品の時代に
 現代の状況について、リルケ(1875−1927)は言っている。「自分自身の死を持ちたいという願望は、ますます稀有になりつつある。いましばらくすれば、そういう死は、自分自身にふさわしい生と同様、ほとんど見当たらなくなってしまうだろう。そもそもなんでもが目の前に並んでいる世の中だ。生まれてくる。なんなりとひとつの生き方を見つける。できあいの生だ。」(『マルテの手記』)
 二つの革命が近代を造った。一つは産業革命産業革命は大量生産を可能にして大衆社会を来たらせた。かつて服は母親や仕立屋が一人一人にあつらえて作るものだったが、皆が既製服を着るようになる。靴もカバンも家具も食物も住まいもみな既製品で、それに違和感さえおぼえなくなっている。違和感どころか、今や人はブランド服に身を固め、ブランド会社に所属していれば安心、所属しなければ不安になる。
 もう一つの革命とはフランス革命。ここに国民教育が始まる。国民教育の目的は、富国強兵にある。「富国」には、産業に必要な大量の均質な労働力を確保するために、国民に一定の教育をする必要があった。また「強兵」のためには、従来の王侯の傭兵に代えて国民をみな兵士とし、その兵士たちに一定の教育を授ける必要があった。
 かくて、何国国民のレッテルを貼り付けられて愛国者たることを求められ、既製の服を着、既製のアクセサリーを付け、既製の食品を食べ、既製の教育を受けて、既製の会社に入り、既製の子育てをして、既製の葬式をし、既製の墓にはいるというぐあいに、既製品としての生と死を営むのが現代人である。この既製品の全体のなかに「私」は埋没してしまう。既製品の生を営む「私」が「私」でなければならない理由はどこにもない。「私」のスペアなど掃いて捨てるほどいるのである。
 思想的には進化論的科学的合理主義が、産業社会を後押ししてきた。科学的合理主義は思想としては深みも重要性もないが、時代への影響力は他の全ての哲学を圧倒している。科学的合理主義は、素朴に唯物的な自然主義に立ち、自然科学による認識を絶対視する。科学的合理主義においては、物質という全体のなかに、いっさいの個はのみ込まれてしまう。人の死も獣の死もバクテリアの死も本質的に同一視され、さらには、生命現象もすべて物質の化学的・物理的現象に還元される。
 結局、産業革命と市民革命によって大衆社会が出現し、それを後押しする唯物的・進化論的な科学的合理主義とが近現代の最大の流れであり、この全体のなかに「私」が没して無意味になって行くのが近現代思想の悲劇的過程である。実存主義者とは、このように全体のなかに私が埋没することを拒んだ人々である。

(2)「主体性が真理である」−−実存主義
 実存主義者たちはしばしば実存主義者と呼ばれることを拒む。「実存主義」という既製のレッテルを嫌うからであるが、そこがいかにも実存主義的だ。とはいえ、一般的に実存主義者と言われるのは、哲学者としてはハイデガーサルトル、マルセル、ヤスパースなど。作家としてはリルケカミュなど。神学者としてはK.バルトら。彼らが共通して依拠するのは、デンマークキリスト教哲学者S.キルケゴールSøren Aabye Kierkegaard(1813-55)であるから、キルケゴールの紹介をもって実存主義についての理解の助けとしたい。
 キルケゴールは、ヘーゲル流の進歩と体系の夢に人々が酔いしれている十九世紀にあって、すでにヨーロッパ精神の絶望を感じとって膨大な著述をした。が、百年ほど早く生まれ過ぎた彼は、生前、誰にも理解されない単独者であった。ヨーロッパ思想界がキルケゴールを理解し始めたのは二十世紀を迎え第一次大戦の危機迫る時代であり、日本でキルケゴールがブームとなったのは第二次大戦後の危機の時代である。
 キルケゴールが生涯を通じてひたすらに追求したのは、人間の実存とその主体性をあきらかにすることである。彼は言う「私にとって真理であるような真理を見いだすこと、私がそのために生き、かつ死ぬことをねがうような理念を見いだすことである。いわゆる客観的真理を私が発見したとしても、それが私になんの役に立つというのか。」(『ギレライエの日記』)。当時支配的であったヘーゲル主義哲学者たちは先行する諸哲学を研究し尽くし、おのが体系にすべて取り込んで説明し尽くすことを営みとしていた。しかし、キルケゴールはその客観的な「真理」は「私」という主体の生と死には何の役にも立たないとした。彼にとって、主体性が真理なのであった。
 キルケゴールが用いた意味での実存(existentia)ということばは、現実的存在として の人間を意味している。理想主義的な哲学では、「本質が実存に優先する」とされてきた。まず人間はこういう者であるという本質(永遠のイデア)があり、その本質イデアが私やあなたという個々の人間として現われているというふうに。言い換えれば既製品としての人生があって、私はその既製品の人生のレールに乗っかって過ごすというふうに。実存とは、誰かが用意してくれた、抽象的・普遍的な人間かくあるべしということに安易に満足せず、私が主体的に己が使命を自覚してその使命を選び取って生きていく人間のあり方を意味している。
 戦前、ほとんどの日本人は「天皇の臣民としての日本人」というお上からあてがわれたイデア(レッテル)に満足して生きていた。その時代には、田辺や西田のいわば理想主義的な哲学が流行していた。しかし、敗戦とともにその天皇の臣民という既製のレッテルは破棄されてしまった。そこで、改めて人は自分は何者なのか、何のために生きるのかと自問せざるを得なくなった。敗戦後の日本にキルケゴールのブームが起こったゆえんである。

(3)聖書的観点からの批評
 キルケゴールの文体は難解でありながらなんとも魅力的で、読者は己の生き方が揺さぶられるような経験をする。私たちがキルケゴールに学ぶべきことは、私たちは人生の傍観者でいることは許されず、主体的に生きなければならないということであろう。
 けれども、キルケゴールについて残念な点は、その実存的思考が、主体性を追求するあまり、真理の客観性というものを余りにも軽んじることである。キルケゴールの「主体性が真理である」という命題は、言い換えれば、<イワシの頭も信心である。客観的にはイワシの頭であっても、一向、構わない。私にとってそれが神であれば、それは真理である。>という非合理な飛躍である。実際、先にも述べたように、実存主義者にはキルケゴールやマルセルのように神を信じる者もいれば、サルトルカミュのように神を否定し去る者もいる。実存主義という立場からいえば、有神論であれ、無神論であれ、主体的に生きていればよいのである。有神論が真理であろうと、無神論が真理であろうとかまわないのである。ことがらを単純に言い過ぎであるかもしれないが、実存主義にとっては、主体性が真理なのであるから。主体的真理と客観的真理の分離という危うさが、実存主義の問題性である。この分離は18世紀のカントの「科学と信仰」の二元論をそのまま継承しているということである。
 この客観的真理と主体的真理の分離の構図は、現代思想に共通する。多くの現代人にとっての「客観的真理」は、進化論的科学的合理主義が提供する「真理」つまり、人間は単なる高等なサルかロボットにすぎないということである。ならば、人間の尊厳や生きる意味はどこにありえよう。客観的真理があまりにもむなしいので、現代人は非合理な飛躍としての覚醒剤や過剰な刺激やカルト的瞑想に走る。彼らは生きる意味を探そうとしているのか、生きる意味など考える必要がないようにと努めているかいずれかであろう。
キルケゴールの影響を強く受けたK.バルトの啓示観も客観的真理と主体的真理の分離構造をなしている。バルトによれば、聖書は客観的には啓示を体験した者たちの誤りも含まれる証言であって、神のことばであるわけではない。しかし、聖書を前に神に主体的に応答せんとするとき、聖書は主体にとって<神のことばになる>という。
 聖書主義の立場からいえば、聖書は客観的にも神のことばである。聖書は私が信じようが信じまいが神のことばなのである。聖書は、信じる者には祝福がもたらし、信じない者には呪いをもたらす神の力あることばである。神が我々に求めていらっしゃるのは、非合理な飛躍ではない。神が我々に求めたまうのは、聖霊によって啓示された客観的真理である神のことばを、聖霊の照らしによって主体的に信じて従うことなのである。

(4)弁証法神学(危機神学、実存主義神学、新正統主義)の登場
 こうした時代思潮の変化とともに、イエスを道徳の模範とあおぐような自由主義神学は没落する。その没落を告げ、キルケゴールの思想を手がかりとして新しい神学の道を開いた神学者カール・バルトKarth Barth(1886−1968)であった。バルトのほかE.ブルンナー、R.ブルトマン、ライホルト・ニーバー、パウルティリッヒボンヘッファーたちを一般に危機神学、実存主義神学、新正統主義神学などと呼ぶが、これらは彼らを批評する立場から名づけられたものであって、自らそのように称しているわけではない。彼ら全てについて紹介することはできないので、バルトを取り上げる。
 バルト神学のいくつかのポイント
a.文化キリスト教からの転向
バルトは、スイスのバーゼルで生まれ、ベルンで子供時代を過ごした。ベルン、ベルリン、テュービンゲンマールブルクの各大学で学んだ。当時バルトはシュライエルマッハー、アルブレヒト・リッチュル、ハルナック、トレルチの自由主義神学を信奉していた。しかし、1910年にジュネーヴで改革派教会副伝道師となり、1911年から1921年まで、アールガウ州ザーフェンヴィル村で改革派教会の牧師を務め説教者として生きるなかで、聖書を単なる文化現象としてしか見ない自由主義神学の限界に突き当たり、聖書を活ける神のことばとして語るために、聖書の注釈、神学、宣教の革新の必要を悟った。バルトは自由主義神学を猛烈に攻撃し、これはもはや神学ではなく人間学に解消しているとして批判した。そして、「言における神の啓示」(『新約聖書』「ヨハネによる福音書」冒頭)を主張した。『ロマ書』はその神学的転向の決定的な書である。
 神の啓示は垂直に上から下へ、というバルトの表現は、この人間主義的な神学のあり方への対決を意味する。トマスの「存在の類比」を批判した「自然神学」批判も同じ文脈である。神の他者性という表現も同じ。そのもっとも先鋭化した神学論争は、盟友エミール・ブルンナーとの自然神学論争における「ナイン!」である。ブルンナーが、「神の像」が形式的であれ残っているとしたのに対して、バルトは「人間にはもはや『神の像』はない」と主張した。一切の下から上への道を否定したのである。
このバルトの主張には、ナチスに組するドイツ的キリスト者運動という背景があると言われる。すなわち、ドイツ的キリスト者たちはヒトラーの出現、ナチスの台頭を歴史における神の啓示であると主張することに対するアンチ・テーゼであった。神学のことばは、真空の中に語られるべきものではなく、具体的な歴史状況におかれた人間と世界に向かって語られるべきものであるというバルトの主張であると思われる。後年になって、彼の主張に変化が生じていることについて云々する向きがあるが、それはブレというより、このような神の言葉にたいする考え方のちがいではないだろうか。

b.「キリスト論的集中」
 教会教義学における神学方法の構造は、キリスト論的集中による「信仰の類比」及び「関係の類比」である。神学の具体的対象はイエス・キリストにおける神と人間であるから、神学的ないとなみはあくまでもキリスト論的でなければならない。神を認識する時に文化キリスト教のように、人間の存在論から神を認識するのでは、神は単なる鏡に映った人間の顔にすぎなくなる。我々はイエス・キリストの出来事・受肉、つまりキリスト論から神を認識すべきなのである。それが「信仰の類比」ということばの意味するところである。
要点を述べる。「キリストを認めず、創造主なる神を知ろうとする者は、神を至高であるが抽象的・観念的にしか知ることができないという迷路に入り込んでいる。神は超越的ではあるが、我々とはどのような関係があるのかを見失うからである。また、キリストを抜きにして、聖霊体験において神を知ろうとする者は、別の迷路に迷い込む。神は我々と共にいます方とされるその体験が単なる主観的体験とどのように区別されるのかが分からないからである。また、私たちが旧約聖書を読むときに、そこにキリストにおける神の姿を見ることは可能であるばかりか、そうすべきである。また、我々が今日の体験として聖霊による慰めを経験するときに、我々はそこにキリストの姿を見ることができるし、またそうすべきである。キリストを離れて神を知ろうとするならば、我々の神知識は哲学的な観念論に陥るであろう、キリストを離れて聖霊を知ろうとするならば、私たちの聖霊観は魔術的な非人格的な力となる。私たちは、キリストにおいて御父を十分に知り、キリストにおいて聖霊の内住を経験することができる 。」(『教義学要綱』井上良雄訳)
『教会教義学』は9000ページを超える大著となるが、未完に終わる。彼は晩年に、もしもう一度教義学を書くことが許されるならば、今度は聖霊論的に書きたいといったという。

c.聖書観の問題点
 筆者は難解にして浩瀚なバルトの諸著作を読みつくすことなどできず、ただ巨象の鼻にのみ触れたようなことにすぎないが、C.ヴァンティル、フランシス・シェーファーの線に沿って、ただ聖書信仰の立場からバルトが正統主義と異なる点を指摘しておけば、なお若い日に新カント派の影響を受けたバルトは科学と信仰の二元論の枠のなかにおいてしか思考できなかったという限界を持つと思われる。新正統主義者は聖書の高層批評学という「科学」の自律を許し、聖書信仰者にとって聖書が「紙の教皇」(ブルンナー)となってしまっていると揶揄した。しかし、そう言いつつもバルト自身は執拗なまでに聖書に密着して釈義し神学を論じるので、彼の主張は伝統的神学と重なる部分が多いのだが、その客観的土台がない。バルトは「聖書が教会を支配するのであって、教会が聖書を支配してはならないのである。」といいつつも、「聖書といえどもやはり、神の啓示に関する人間的な証しにすぎない」 というのである。
バルトは啓示・証し・告白という三つの概念の関係を一つの比喩で語っている。すなわち、戦場において、次のような出来事が起こった。すなわち、敵が、圧倒的な優勢をもって、先手を打って、攻撃に移った。最前線の部隊から、この前線の直ぐ背後に待機している増援部隊に、この攻撃の事実について、報告が来る。敵によってすでに攻撃されたこの部隊が、預言者使徒であり、増援部隊にもたらされた彼らの報告が聖書である。増援部隊はいうまでもなく教会である 。
 弁証法神学においては、聖書を神のことばとするのは信仰者のその折々の主体的決断である。聖書における文書啓示という客観的基盤がないから、バルトとともに新正統主義とか弁証法神学というグループに入るとみなされるブルンナー、ブルトマン、ティリッヒといった神学者たちは、主張することがさまざまである。バルトはキリストの処女降誕も復活も信じるというようにかなり保守的であり、ブルンナーはキリストの処女降誕を否定する が復活は信じるという。「非神話化」を主張するブルトマンは聖書の処女降誕、復活、再臨、主イエスが地上でなされた奇蹟を神話と見なして否定し、これらを非神話化しなければならないとする 。またティリッヒの啓示論を読めば、これはもはやグノーシス主義的宗教者である。聖書を前にして、神学者がそれぞれの主体的決断によって信じたいことを信じるという原理が、このような状況をもたらすといわざるをえまい。聖書は客観的に神のことばであり、我々はこの神のことばに主体的に応答して生きるという信仰告白。我々はこれを土台にしたい。
「草は枯れ、花はしぼむ。だが私たちの神のことばは永遠に立つ。」イザヤ四十:八