昨日書いた蕎麦「ともせん」の大将に、「私は信州に来て、初めて蕎麦のおいしさを知りました。」と話したことがある。大将は、「そうですか。ありがとうございます。でも、それは歳のせいでもあるんですよ。蕎麦の味って単純でしょう。若いときは単純なものの味というのはわからないもので、歳を取ってくるとその味わいというのがわかってくるんですよ。」と答えられた。へえ、そういうものか。歳か、と思った。
こういうところが、このともせんの大将のいいところだ。蕎麦好きというのは、えてしてやたらと凝り性で、俺のそばこそ一番だということを延々と薀蓄を傾けて語りたがる人が多い。また筆者も二三度蕎麦打ちを経験して、その理由もわかるようになった。つまり蕎麦は打つ人の腕一本によって、まったく違うものになってしまうので、勢いいろいろ言いたくなるものなのだ。
だがともせんの大将はさらりと、上のようなことを言ってのける。「私」を去っているのである。いいなあ。
年越しそばの季節。ともせんの生蕎麦は宅配してくれるそうです。