苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

二人の声楽家志望学生

 今年最後の主日朝礼拝を終えての午後、所用で他県の教会に出かけ、帰りの小海線は9時過ぎになった。席について目を閉じていると、隣の向かい合わせの席で二人の青年が、熱心に話をしている。「フィガロが・・・」、「だれそれさんはイタリアへ修行に行けばよいのに・・・」など途切れ途切れに聞こえてくる。声楽をしている二人らしい。
 こんな深夜便の小海線でいったいどこへ行くのだろう。9時過ぎともなれば、小海線は深夜なのだ。若いけれどリエックスのオペラマスター関係者だろうか・・・と思っていた。ところが、列車(と言っても一両なのだが)が、あと二駅で小海となったとき、車掌の説明を聞いて「やっちまった。逆方向だよ。」と言っている。小諸に行くべきところを、逆方向の小海行きに乗ってしまったらしい。しかも、「小海線の小諸方面への最終便はさっき臼田ですれちがってしまいましたよ。」と車掌はにべもない。
 小海駅に到着すると10時。町は真っ暗である。小海は午後5時には店はしまりはじめる町なのだ。一番おそくまで開いている店で7時。
 「私、あの教会の牧師だけど、困っているなら泊めてあげようか。」というと、「いえ、大丈夫です。」ということだったので、一人帰途に着いた。見上げれば満天の星空のなかにひときわ明るくオリオン座が輝いている。そして、凍みる。氷点下五度ほどか。
 ところが、帰宅してくつろいでお茶を飲みながら家内に「小海線で声楽をやっているらしい青年がいてね・・・。」と話していると、ピンポーンと鳴った。あの二人がやはり困り果てて訪ねてきたのだった。漫画喫茶かネットカフェでもあれば、そこで泊まろうと思ったそうだが、小海にそんな「不健全なもの」あるわけがない。・・・というわけで、一晩泊めてあげることにした。
 本人たちの許可を得て、名を記すと福澤元貴くんと沼波俊太郎くんである。二人とも名古屋芸術大学の音楽科で声楽で学んでいて、福澤君は学部卒業後研究生、沼波君はまだ学部の二年生だという。息子、娘たちもおもしろがって、がやがや布団を運んだ。「申し訳ないと思ってる?じゃあ、この際、一つ歌ってください。」と頼むと、さすが声楽家志望。喜んで、という感じで歌ってくれた。
 沼波君は、「谷川の流れを慕う鹿のように」。バリトンらしい分厚い声である。リハーサル抜きなので、音は少し外れたが、この分厚い声をこれからコントロールすることを訓練していくのだろう。ちょうどプロ野球のスカウトが、高校球児を見るときには、投手はまずコントロールよりも暴れ球でもいいから球威があるかどうかを見るというように・・・などとえらそうなことを思った。福澤君はテノールで「いつくしみ深き」を歌ってくれた。身振りにも情感を込めて。・・・さすが、こちらは先輩。
 調子に乗って、息子たちにギターを弾いてごらんと勧めたら、最近覚えた二曲を演奏した。「主よ人の望みの喜びよ」と「クリスマス・イブ」。
 面白い出会い、楽しい音楽の夕べとなった。
 明日は、朝5時35分まだ暗いうちに小海発で出かけるそうだ。寝坊するなよ。おやすみ。

沼波くん と 福澤くん・・・・・うーん表情はもう声楽家だね。