苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

中世教会史7 ユスティニアヌス大帝と東ローマ帝国の歴史的役割

(1)ユスティニアヌス大帝

 ユスティニアヌス1世(483年 - 565年、在位:527年 - 565年)は、貧しい農民の子から皇帝まで登り詰め、西ローマ帝国の故地を再征服して一時的にローマ帝国を復興させた。『ローマ法大全』の編纂や、ハギア・ソフィア大聖堂の再建でも知られ、その功績から後世コンスタンティヌスとともに「大帝」と呼ばれた。しかし、一方では相次ぐ戦争や建築事業による国家財政の破綻と国力の疲弊、それに伴う帝国の衰退という大きな負の遺産も残した。
 ユスティニアヌス大帝は東西帝国の再統一を政治的にも宗教的にも成し遂げることを目指した。事実、彼の治世の一時期には帝国は昔日の栄光を回復したかに見えた。
 政治的には、東方ではペルシャと和平を結び、西方では北アフリカヴァンダル族を、イタリアから東ゴート族を、スペインから西ゴート族を追い払い、失地を回復した。しかし長続きはせず。彼は軍隊を軽んじ、カネでペルシャと和平を維持しようとして経済的に苦しくなったといわれる。当然、財政難は諸属州への重税となるわけで、諸属州の不興を買った。これが七世紀にイスラムが侵入したときに、やすやすと諸属州を奪われてしまった一因である。
 宗教政策についていえば、ユスティニアヌス帝はカエサロ・パピズム(皇帝教皇主義)を徹底した。聖ソフィア大聖堂の再建(537年)はその象徴。宗教的統一の象徴のシンボルであり、ビザンチン建築の傑作だが後にイスラムの聖堂とされた。神学論争への介入もし、キリスト単性論問題を政治的に解決しようとした。有名なところでは「三章論争」である。ユスティニアヌスは、カルケドン会議の結論に不満な単性論者がカルケドン会議で承認された「三章」を異端とすることを支持した。(ベッテンソンpp147−148参照)。ユスティニアヌスは皇帝教皇主義をもって異教と異端を弾圧したので、ローマ帝国の諸属州からは不評となり、これがイスラムの侵攻を許す一因となった。イスラムは宗教的には寛容政策を取ったからである。
 以上のような政治と宗教についての法的な秩序づけの最終的決着が、529年に発布されたユスティヌアヌス法典である。これは長い伝統をもつローマ法の集大成であって、コンスタンティヌス大帝の理想<一つの帝国、一つの教会>政策の法律上の決着であり、政治と宗教の両面からキリスト教社会の秩序付けを図った。皇帝の権力は、政治・軍事のみならず、文化・思想・宗教一般、教会をも支配する。この法典に基づいて、無神論・偶像礼拝は禁止され、ユダヤ人は排斥され、529年ギリシャ哲学の学院アカデメイアは閉鎖された。ユスティニアヌス法典の観点からすれば、三位一体論批判や再洗礼は国家秩序を破壊する大罪とされた。(16世紀宗教改革時代に、反三位一体論者セルヴェトゥスがジュネーブで処刑されたのも、アナバプテストが各地で弾圧されたのも、この法典を根拠としている。これはびっくり!)
 しかし、ユスティニアヌス大帝の力がいかに偉大であったとはいえ、時代の流れには逆行しがたく、彼の死後はやはり西方支配はできなくなり、ペルシャからも攻め込まれ、教会の東西分裂は元の木阿弥となっていく。

(2)東ローマ帝国の歴史的役割
 東ローマ帝国は、この後、さらにイスラムの進出によって、決定的に西方世界への直接的な影響力を失ってしまう。それでは「コンスタンチノープルの役割は、ただ古代ローマのむなしい残照を保つにすぎなかったのであろうか。帝国の失われた栄光の残りかすを保っていたということにすぎないのか。」と堀米庸三は自問し、そして、否、と答える。
 第一には、専制帝政に道を開いたディオクレティアヌスコンスタンティヌス大帝の帝国改造は、市民を臣民につくりかえたものであったとはしても、狂乱状態を秩序あるものに戻す大事業であったこと。
 第二には、中世東ローマは9世紀のマケドニア王朝のもとでは強国であったこと、
 そして、第三に、後世への影響として一番大きなこと。「このような東ローマあってはじめて、蛮族化した西方にも、この世の唯一最高の支配圏としてのローマ帝国の観念がのこり、これをシンボルとする統一ヨーロッパ世界が生まれ、やがては近代をひらくことができたのだ。1453年、東ローマが滅亡したとき、ローマ帝国、いな古代文化の遺産は、すべて西方にあり、これによってヨーロッパは世界そのものにまで、みずからを拡大する準備をおえていたのである。」(堀米庸三
 たしかに堀米のいうように、もしローマ帝国の観念がなかったならば、伝統的に部族連合を基本形とするゲルマン人たちはヨーロッパ全体を一つの統一することなど理想として考えつくこともなかったであろう。事実、ゲルマン人たちの国ドイツは、今も連合体として存立している。ローマ帝国の理想、一つのキリストのからだとしての教会があわせられて、ヨーロッパを統一世界として考えることになった。今日のEUもまたしかりである。(堀米氏の指摘の第三番目には目を開かれる思いがした。こういう歴史的洞察あることばが言える人を、単に歴史学者でなく歴史家と呼ぶのだろう。)