苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

アテネのパウロ

                   使徒17:14−36
                  2010年9月5日 主日礼拝

1. アテネ・・・学問の都、偶像の都

 学問の都アテネは、世界の歴史の中で独特の立場を占めている町です。ソクラテスとその弟子プラトンはこのアテネに生まれました。アリストテレスプラトンの弟子です。紀元前5世紀から紀元前4世紀にかけて生まれた、この三人の哲学は、その後のヨーロッパ思想の源流となり、現代にいたるまで絶大な影響を及ぼしています。
 たとえばアリストテレスですが、三段論法という論理学をきちんと定めたのは彼です。「すべての人間は死ぬ。ところで、ソクラテスは人間である。したがって、ソクラテスは死ぬ。」これが三段論法です。アリストテレスはあらゆる学問の基礎固めをしました。
 またプラトンはどうか。キリスト教神学を形成したアウグスティヌスは、プラトンの影響下に出現した新プラトン学派の影響を受けて、その観点から聖書を読んで、キリスト教神学を構築しました。アウグスティヌスは、カトリックプロテスタントを問わず、聖書理解に大きな影響を与えました。
 学問だけではありません。ギリシャ文化は多くの芸術作品とくに彫刻を生み出し、その中心はやはりアテネでした。政治思想においても、ソクラテスプラトンのいた紀元前5世紀のペリクレスの時代にアテネで民主主義が完成しました。・・・その時代、日本は縄文式土器を作っていました。
 パウロアテネを訪ねたのは、紀元50年か51年のことですから、すでにソクラテスプラトンアリストテレスの時代から400年ほど経ていて、アテネはすでに学問の都、芸術の都として非常に有名でした。パウロは、胸高鳴るものを感じながらこの学問の都、芸術の都を訪ねたのです。人間の知性によって、真理探究をきわみにまで達した人々が住む都に、パウロは天地万物の神のことばをもって切り込んで行くのです。ところが、アテネにはいるとパウロは霊的暗黒の惨状を見て、驚き、かつ憤りを感じなければならなかったのです。
17:16 「さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。」
 町を歩いてみると、あちらにはゼウス像、こちらにはアポロン像、そちらにはアフローディテ像・・・と、おびただしい彫像がひしめき、しかも、それらの彫像に対して人々は恭しく、香をを炊き、いけにえをささげ、ひざまずいてこうべを垂れて、家内安全商売繁盛を願って礼拝をささげていたのでした。
「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト20:3、4)
パウロは、十戒の第一番目、第二番目を胸の中で何度もつぶやきながら、アテネの霊的暗黒を見て憤りを感じたのでした。たとえ人間が、その理性を誇りとして、真理を究極まで探究し尽くしたように思い上がったとしても、こと神に関する知識については、まるで無知蒙昧なのだという現実を、パウロはまざまざと見せ付けられたのでした。
パウロの実感は、ローマ書1章18節から23節に記されています。
「というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」
 ここで、私たちは反省させられないでしょうか。私たちは京都や奈良や、このあたりでいえば善光寺や信州の鎌倉と呼ばれる別所温泉を訪ねるときに、パウロのような聖なる憤りを感じるでしょうか。その憤りとは、一つには人間が天地万物を造られた聖なる神をないがしろにしているという人間の罪に対する憤りです。またその憤りとは、人間をまんまと偶像礼拝の策略にかけて、霊的に盲目として、まことの神様から引き離しているサタンに対する憤りでしょう。

2.アテネの人

 そこで、パウロはさっそく福音宣教の戦いを始めました。安息日にはシナゴーグユダヤ人と異邦人改宗者たちに伝道し、ウィークデーは広場ではそこにいあわせたギリシャ人たちに対して伝道したのです。
「17:17 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。」
 本日の箇所で興味深いことは、これまでおおかたユダヤ教の会堂における宣教のようすが語られてきたのですが、ここではパウロの異教徒への伝道の内容が記録されていることです。そこには、当時、哲学界を二分した二つの学派、ストア派エピクロス派の哲学者がいました。
「17:18 エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。」
 彼らはパウロが話すことを誤解して、外国の神々のことを述べ伝えていると思い込みました。「イエースース」と「アナスタシス(復活)」というのは神々の名前であると思ったのです。とにかく、そんなに熱心に外国の神々の話をしたいならば、この広場ではなくて、アレオパゴスで正式にアテネの議員たちに話せばよいといって連れて行ってくれたのです。アレオパゴスというのは、古代アテネの貴族たちの評議会がなされる場所でした。アレオパゴスの丘は、アクロポリス神殿の立つ丘の一段下に位置する丘です。
 坂を上ってアレオパゴスに着くと、彼らは言いました。19-21節「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」
アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」
 彼らは真剣な求道者ではありませんでした。単なる好奇心で、この外国からやってきたやたら熱心な人物に、耳新しい神々の話を聞きたかっただけです。けれども、パウロとしては、これを福音宣教の糸口としたのです。

3.パウロの伝道説教
(序)コンタクト・ポイント
 パウロはアレオパゴスの真ん中に立って、説教を始めます。話の発端は、彼が道端で見つけた一つの祭壇でした。(17:22、23)「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。」
 アテネの人々は、ありとあらゆる神々の偶像を造って、町の要所要所に安置して一生懸命拝みました。ありとあらゆる偶像を作りましたが、それでも、もしかしたら自分たちが知らない神がいるかもしれない。もし知らない神がいたならば、私たちがその神を祭らないことで、その神が機嫌を損ねてアテネの町にわざわいをもたらすかもしれない。そこで、アテネ人はその「知られない神」のご機嫌をとるために、この奇妙な祭壇を築いたのです。
 パウロは、これを一つのきっかけとしてギリシャ人たちにまことの神とはどのようなお方であるのかを伝えていきます。

(1) 真の神
 では、パウロギリシャの人々に真の神を紹介するにあたって、どんなことを伝えたでしょうか。パウロが語った第一のポイントは、神は天地万物の創造主であり、いのちを下さったおかたであるという事実です。
「 17:24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。17:25 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。」
 こんな話を聞いたことがあります。東京は上野界隈に住んでいた熱心な仏教徒がいました。この人は大枚をはたいて仏像を購入し、日々、この仏像を拝んでいました。ところが、1923年(大正12年)9月1日(土)午前11時58分32秒、大地がグラグラと揺れ動きました。関東大震災です。ちょうどお昼時で、あちこちで火の手が上がりました。当時東京は木造家屋がほとんどでもあり、道路幅も狭かったので、あっという間に炎は燃え広がりました。あの仏像をたいせつにしていた人は、どうしたでしょう。この時とばかりに、仏像を一生懸命拝んだでしょうか。いいえ。彼は帯を解くと、自分の背中に仏像をしっかりと結わえ付けて、家を飛び出して必死で上野の山に向かって走りました。走って走って、山に登り、そこから東京の町を見ると、あのあちらからもこちらからも真っ黒な煙がもうもうと上がって、全体がかまどのようなありさまでした。
そして、「はっ」気がつきました。「自分はこれまで仏さまに助けてもらいたいと思って、毎日毎日拝んできたけれど、おれが助けてやらなきゃだめなものを拝んで頼ってきたとはなんとむなしいことではないか。」と。
そうです。17:25 「また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。」とあるように、人間に助けてもらわなければ焼けてしまうような神など、ほんものの神ではありません。逆に、ほんとうの神とは、「すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方」なのです。

 パウロギリシャ人たちに伝えた神についての知識は、第二に、まことの神は世界の歴史の偉大な支配者であるけれども私たちひとりひとりに近く臨んでくださるお方であるから、もし神を真剣に求めるならば私たちはその神を見出すこともあるお方なのだということです。
「17:26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。 17:27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。」
 なぜ、天地万物を創造なさったほどの偉大なお方が、私たち人間に特に親しく臨み、私たちに関心をもっていてくださるのでしょうか?この理由についてパウロは、ギリシャの詩人たちのことばを引用して説明します。 17:28 「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。」人間はからだの大きさからいえばちっぽけな存在ですが、人間には特別の面があります。それは、人間が神の似姿として造られているということです。そのことを、パウロギリシャの詩人のことばを引いて「私たちもまた神の子孫である」といったのです。人間は神様の似姿として作られた、いわば神の子孫のように偉大なものです。そして神様は、私たちに親しく臨んで、私たちに語りかけていらっしゃるほどに、人間は被造物の中では特別に霊的に祝福された立場にあるのです。だから、パウロはいうのです。17:29「そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。」私たち人間は、天地万物を造った偉大なお方の似姿です。ですから、金や銀や石の像を神と考えてはいけないという、至極最もな主張です。
 パウロの説得力あることばに、そこにいたギリシャ人たちもウンウンと頷いていたようです。

(2) 悔い改めを求め、キリストを紹介する
 そして、パウロの説教は、後半に入り、いよいよイエス・キリストの紹介へと移ります。
「 17:30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。17:31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」
 要点は、天地万物を造られ歴史をすべおさめておられる神は、今、世界中のすべての民に悔い改めを求めておられるということ。まことの神に背を向けて手で作った石や金属や木のいつわりの神々に仕えて来たあなたたちもまことの神に立ち返るべきときが来たのですというのです。
 神は世界の歴史の終わりに、イエス・キリストを審判者として立てて、世界をさばく日を決めておられます。イエスは再臨されると、死者をもよみがえらせて、ひとりひとりの生前の行ないに応じて厳格・公正な裁きをなさいます。そして、その審判者として立つべきお方が、まず救い主としてこられて、復活してご自分が神であることを確証されました。・・・このあたり、パウロはもって廻ったような言い方をしています。なかなかイエスという名前が出てきません。このあと、おそらくパウロは、その裁き主であるイエスが、私たちがその裁きの日に耐えられるため、身代わりに十字架についてくださったのですと語ろうとしていたのではないかと思われます。パウロのこの説教の中で「主イエスを信じなさい。」という福音の核心をさあ、これから話そうかという段階です。

3.反応
(1)冷たい反応

 ところが、残念なことに、パウロが創造主と、創造主と人間の関係について語り、ついで、最後の審判が近いのだから、神が審判者として立てられた方がいて、そのかたは復活したのだというところまで話し、いよいよ・・・・このお方こそ、イエス・キリストであると話そうとしていたのに、アレオパゴスでパウロに耳傾けていた人々は、パウロの話の途中、結論に行き着く前に、がやがやし始めて、パウロのことをあざ笑いはじめたのです。 17:32 「死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った。
 アレオパゴスの知識階級の貴族たちは、高い誇りをもっていました。ギリシャではヘレニスタイというのは、ギリシャ文化圏のなかにある文明人とされていましたが、ギリシャ文化圏の外にある人々はバルバロイすなわち野蛮人、未開人と呼んだのです。そのバルバロイ未開人がやってきて、なにか気の利いたことを話すのかと思ってじっと聞いていたのです。イエースースという神々の名と、アナスタシスという神々の名を説明するのだろうと思っていたのです。ところが、なんとアナスタシスというのは神々のひとりの名ではなくして、文字通り、ひとりの人が死んだけど生き返ったのだということを、この野蛮人は話しているのだとわかったのでした。
 死者のよみがえりなどというばかばかしいことなどあるわけがないというのが、ギリシャ人の固定観念でした。ギリシャには霊肉二元論という思想はあって、霊は永遠不滅であるという思想はありましたが、肉体のほうは滅びてしまうものだと考えられていました。ところが、このパウロというユダヤ人はおおまじめに、死んだ人が生き返ったのだと述べるものですから、「なんだまじめに聞いていたらばかばかしい。野蛮人のたわごとではないか。時間のむだだ。」と、そこにいたほとんどのギリシャ人は考えて、あざけったのでした。
「知識は人を高ぶらせる」ものです。彼らの持っていた知識は、真の知識ではなく実はひとつの偏見にすぎなかったのです。

(2)水の上にパンを
  パウロはがっかりしたでしょうね。「17:33 「こうして、パウロは彼らの中から出て行った。」とあります。けれども、パウロアテネ宣教はまったく無駄だったのかというとそうではありませんでした。そこには、少数でありましたが、たしかに回心する人々も起こされたからです。 17:34「しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。」と言われているとおりです。神のことばが真実に語られるならば、神の羊はちゃんとそれをキャッチして主イエスについてくるものなのです。励まされます。
 さらに長いその後のギリシャの歴史に視野を広げて言うならば、パウロアテネ宣教は偉大な成果を生み出すことになります。けれども、神はやがてここに蒔かれた種を歴史の摂理のなかで育てて行かれます。ついには、プラトンアリストテレスをはじめとするギリシャ思想も、キリスト教神学を構築するためのしもべとして活用されることになり、ローマ帝国キリスト教化されていきます。後年には、キリスト教を中心とするビザンチン文化がここに花を咲かせ、そして、今日、ギリシャ共和国エーゲ海ブルーのストライプの国旗には十字架があしらわれているではありませんか。
 一見、徒労と思われる福音宣教であっても、みことばが真実に語られるならば、神のことばが後の日には豊かに実を結ぶことになるのです。ですから、うむことなくたゆむことなく、時がよくても悪くてもしっかりと福音のたねをまきつづけてまいりましょう。
「あなたのパンを水の上に投げよ。
 ずっと後の日になって、
 あなたはそれを見いだそう。」伝道者11:1