苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ネブカデネザルの野望―政教癒着と神のさばき(KGK夏季学校その6)

 政教癒着についてもう一つの事例を挙げておく。バビロンの王ネブカデネザル二世(604-562BC)である。 
 「ネブカデネザル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。そして、ネブカデネザル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に出席させることにした。そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に集まり、ネブカデネザルが立てた像の前に立った。伝令官は大声で叫んだ。『諸民、諸国、諸国語の者たちよ。あなたがたにこう命じられている。あなたがたが角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝め。ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。』
それで、民がみな、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民、諸国、諸国語の者たちは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝んだ。」(ダニエル3:1-7)
 ヤロブアムは政権安定のために国家神道を作り、ウジヤは傲慢のゆえに聖なる祭司の領域を侵した。そして、バビロンの王ダニエルは、帝国主義的侵略によって己が傘下に収めた諸国民・諸民族を背かせぬために、あるいは、自分に背こうとする者をすみやかに摘発するために、偶像崇拝を利用した。わが国が、アジア諸国に侵略したときに、多くの神社を建立して、そこに現地の人々を強制参拝させたのも同じ手法である。朝鮮半島における神社設置数137。その数は、他の植民地に類を見ない多さだった。台湾・中国・満州を合わせても総計165にすぎない。(1942年・昭和17年)。
 古代から近現代にいたるまで、権力者たちの宗教利用の手法はパターンがほぼ決まっている。なぜか?背後で彼らを操る黒幕が同じだからではなかろうか?実際、黙示録はそう教えている。(つづく)