苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

わが国の近代史で・・・政教癒着と神のさばき (KGK夏季学校分科会その5)

(読者の皆様8月28日にフランス国家ラ・マルセイエーズを挿入したので、ごらんください。1節だけですが、その歌詞に近代国民国家の歴史的背景がよく現れています。)

   グラジオラス


 ぺりーの黒船で門戸をこじあけられた列島住民たちは周囲を見回して驚いた。かつてわが国に文明をもたらした大国、唐・天竺も帝国主義欧米列強に蚕食されて見る影もなく、他のアジア諸国はいずれも植民地化されていたからである。明治維新政府の伊藤博文は、幕藩体制でバラバラの日本を、帝国主義列強に対峙できる国家とするために、国家神道で「天皇を中心とする神の国」としてまとめることを構想した。国家神道は、記紀神話に基づき、江戸時代の平田篤胤神道を利用して仕立て上げられた俄仕立ての人造宗教である。明治新政府の動きは、ヤロブアム王の宗教政策によく似ている。
 やがて日清戦争日露戦争に奇跡的勝利を収めて、日本人とくに軍部はのぼせ上がってしまう。わが国は天皇を中心とする神国であるから、かかる勝利を収めたのである、と。大和魂で戦えば、いかなる大国を敵に回そうと勝利は必定であるという狂気が日本国民を覆って行った。そういう高揚した気分の中で、大陸に進出すべし、大東亜を暴虐な欧米列強から解放すべし、そして日本にはアジアの遅れた諸国・諸民族を指導する使命がある、ということになっていく。(中略)
 やがて1941年12月8日真珠湾攻撃で、日米開戦。その時代、国民の精神は国家神道一色に染め上げられてしまう。戦争遂行の大宣伝機関は朝日、毎日など大新聞だった。いったん戦争が始まってしまえば、反戦厭戦の記事など載せれば警察にひっぱられるという以前に、発行部数が落ち込んで倒産してしまう。今日のワールドカップの時と同じように、国民はそういうものなのだ。背に腹は代えられないと判断した大新聞は、自ら「敵米英ヲ撃滅セヨ」式の大本営発表機関と化していった。
 しかし、それ以上に残念なことは、そういう風潮に教会もまた同調していったという事実である。戦争のために国家総動員がかけられ、諸宗教も国家の戦争遂行目的のために奉仕すべしということで、1940年4月1日宗教団体法が施行された。そういう状況下で、教会は何を教えていたのか?下に掲げるのは当時の教会学校教案誌の抜粋である。

「 紀元節(有難いお国)
[金言]義は国を高くし罪は民を辱しむ。(箴言十四・三四)
[目的」1.紀元節を目前に控へ、祝ひの意味を判らせる。
2.正義の上に立って居る祖国を知らしめて童心にも、日本の子供としての自重と、神の御護りによってこそ、強くて栄えることの出来ることを知らしめる。
[指針」皇紀二千六百二年の紀元節を迎へ、今日、展開されて居る大東亜戦争の使命を思ふ時、光輝ある世界の指導者としての日本の前途は、武器をもって戦ふより、遥に至難な業であることを痛感するものであるが、手を鋤につけた以上、万難を突破して完遂せねばならぬ唯一の道でもある。
 翻って子供を見る時、小さい双肩に、重い地球が負はされて居る様にさへ感ずる。今こそ、揺るぎない盤石の上にその土台を据えねばならない時で、吾等に負はされて居る尊い神の使命である。祈って力を与へられたい。
「教授上の注意]大和の橿原神宮の御写真か絵及びその時代の風俗を表はす絵、金鵄勲章の絵か写真などを用意して見せてやり度い。時間があれば勲章を作らせてもよい。(後略)」
 「皇紀二千六百二年(西暦一九四二年、昭和十七年)二月号」の『教師の友』(日本基督教団日曜学校局)

 国家の暴走、教会の偽預言者化。こうした出来事の背景には、悪魔の跳梁があると黙示録13章は啓示している。(つづく)