高校時代の友人で、今は京都で弁護士をしているKくんがいる。彼は自分の母親のことを「かあさん」と呼んでいた。筆者は「おかあさん」と呼んでいたが、なんとなく「かあさん」というほうが親孝行な響きがある。「おかあさん」と呼ぶ自分は甘ったれで、「かあさん」と呼ぶKくんのほうが立派な気がした。
なぜ「かあさん」という言葉には、親孝行の雰囲気があるのだろう。「かあさんの歌」の影響だろうかと仮説を立ててみた。「かあさんが夜なべをして 手袋編んでくれた 木枯らし吹いちゃ冷たかろうて せっせと編んだだよ」という、遠く都会に就職したわが子を思う母の思いと、そんなふるさとの母に「せめてラジオ聞かせたい」という親を思う子の思いが行き交う、あの歌詞の記憶が胸の深いところに沈んでいるではないか、と。
かあさんの歌 作詞・作曲/窪田 聡
1 母さんが 夜なべをして
手袋編んでくれた
木枯し吹いちゃ 冷たかろうと
せっせと 編んだだよ
ふるさとの 便りも届く
いろりの においがした
2 母さんが 麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
おまえも 頑張れよ
ふるさとの冬は さみしい
せめてラジオ 聴かせたい
3 母さんの あかぎれいたい
生味噌を すりこむ
根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが 聞こえる
なつかしさが しみとおる
なつかしさが しみとおる
「かあさんの歌」で歌われるふるさとは、長野市の南西の山間部に位置した津和村である。作詞作曲者、窪田聡は戦時中疎開した津和村の印象をこの歌に託したという。歌ができたのは1956年というから、筆者が生まれる二年前。存外、新しい。日本経済は高度成長期に入ったばかりの華々しい時代であって、信州の若者たちは中学を卒業すると、労働力として続々と槌音響く東京に呑みこまれていった。しかし、あのころ信州のふるさとは明治とさほど変わらない貧しい生活をしていた。
今、津和村は信州新町となっていて、同盟教団の小さな教会があって女性の伝道者が仕えている。