苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ルカ―眠気への関心

 マルコ福音書の山上の変貌記事で気になることを書いたついでに、ルカの変貌山の記事の特徴もメモしておく。それは、不思議な眠気である。「ペテロと仲間たちは、眠くてたまらなかったが、はっきり目がさめると、イエスの栄光と、イエスといっしょに立っているふたりの人を見た。」(9:32)とある。モーセ、エリヤ、そして主イエスという三役揃い踏みの大興奮のときなのに、なぜか弟子たちを眠気が襲った。不思議である。理由はわからない。たぶん啓示にともなう超自然的な眠気である。こういう理由のわからないことが、この出来事のリアリティを証言している。もし小説家のフィクションならば、まさかこんな場面で「弟子たちは眠かった」などと書くはずがない。場違いな眠気であるだけに、事実をそのまま書き留めたのだと判断できる。この眠気についてはイエスといっしょに山に登った三人しか知らないのだが、マルコは触れていない。ルカはその証言か証言記録を別のどういうルートで得たのだろう?これはわからない。
 ちなみに、ルカは弟子たちの眠気について福音書使徒の働きで何度か書きとめている。ゲツセマネで主イエスが血の汗を流して祈っていたとき、弟子たちは眠かった。「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。イエス祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。」(22:44,45)こういう大事なときに、やっぱり眠くなってしまう弟子たち。ルカのペンは優しくて「悲しみの果てに」などと理由付けをしているが、この眠気も不思議といえば不思議。
 使徒ペテロはヨッパにいたとき、屋上で昼の祈りをしていると、おいのりがおいねむりになってしまい、その夢のなかで異邦人に福音を伝えよという啓示を受けた。妙なのは腹一杯になると眠くなるのが普通なのに、このとき彼は昼食前の腹ペコだったということである。もっとも見た夢は食い物の夢だった。「その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。」(使徒10:9,10)これは啓示に伴う超自然的眠り。
 トロアスの青年ユテコは、いつ終わるとも知れないパウロのなが〜いなが〜い徹夜説教を聴きながら、眠気を払うためか窓際に腰掛けていたが、かえって気持ちよくなって寝込んでしまい、三階の窓から落ちてしまった。「ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。」(使徒20:9)説教中の居眠りは死を招く!という恐るべき教訓・・・ではない。このあと主が彼を生かしてくださった恵みに感動すべきところ。
 眠気といった身体的現象に関心を寄せているところが、なんとなく医者のルカらしい。


    小海小学校近辺。午前五時。