苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ミダス王


 昨日の話題の続き。ギリシャ神話でミダス王がディオニュソスを助けたとき、褒美として、「触れるものは何でも黄金に変える力」をもらった。ミダスは喜んで、木の枝、石ころ、何でもかんでもさわりまくった。彼は大喜びで家に帰って、さあ食事になった。パンをさわるとそれは黄金に変わってしまった。
 小学生低学年に読んだ本の記憶では、ミダスにはたいせつな娘がいたという。彼が黄金のテーブル、黄金の水差し、黄金コップ、黄金の椅子などに囲まれて悦に入っていると、娘が入ってきた。「おとうさん。なんてきれいなんでしょう。」そういうと娘は父親の腕に飛び込んできた・・・。
 この話は拝金主義(マモニズム)を戒めるための話なのだろう。拝金主義者は、すべてのものを金銭に換算して価値を量るようになり、結局、無意味・無価値なむなしさの中に住むことになってしまう。主イエスが「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」と言われたように、富とくに金銭というものはあらゆるものを数字という抽象的なものに換算して、価値付けをするという点で、神になりかわろうとする性質をもたされている。貨幣の物神化。ユダはマリヤの主イエスへの愛と献身を三百デナリに換算した。
「 ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。『なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。』」(ヨハネ12:4-6)