苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「つぶやく」――聖書に親しみすぎた翻訳者特有の誤訳

 
yutorieさん のオリジナルリース。すてきでしょう。)


  『なんで神様は人間が小さな声で話していると怒り出すのだろう?』30年ほど前、教会に通い始めて、新改訳聖書を読んで異様な感じを受けた。問題は「つぶやく」という訳語であった。新改訳聖書では、「つぶやく」ということばを「不平を言う、不満を述べる」という意味で用いている。たとえば、出エジプト16章 7-8節。

<新改訳>朝には、主の栄光を見る。主に対するあなたがたのつぶやきを主が聞かれたのです。あなたがたが、この私たちにつぶやくとは、いったい私たちは何なのだろう。」モーセはまた言った。「夕方には、主があなたがたに食べる肉を与え、朝には満ち足りるほどパンを与えてくださるのは、あなたがたが主に対してつぶやく、そのつぶやきを主が聞かれたからです。いったい私たちは何なのだろうか。あなたがたのつぶやきは、この私たちに対してではなく、主に対してなのです。」

 けれども、「つぶやく」という言葉は、国文学者を志していた当時二十歳の筆者にとって、単に「ちいさな声でひとりごとを言う」という以上の意味はなかった。実際、「つぶやく」ということばについて、いくつかの辞書を調べてみると、大辞泉は「小さい声でひとりごとを言う。」とし、、大辞林第二版は「小声でひとりごとを言う。」とし、新選国語辞典第八版は「ぶつぶつ、小声でひとりごとを言う」とし、広辞苑は「ぶつぶつと小声で言う。くどくどとひとりごとを言う。」としている。広辞苑のみ若干「不平」のニュアンスを含む説明をつけているが、「つぶやく」ということばは、普通の日本語においては、単に「小声で独り言を言う」という意味であって、そこに不平・不満は含まれていないし、しかも、「つぶやく」のは独りですることであって集団ですることではない。
 ところが、新改訳では、「つぶやく」は民が集団で神様の扱いについて不平を言うという意味で用いられている。これは、文語訳、口語訳聖書以来の誤った訳語の伝統を踏襲したせいであると思われる。下記をごらんいただきたい。

<文語訳>又朝にいたらば汝等ヱホバの榮光を見ん其はヱホバなんぢらがヱホバに向ひて呟くを聞たまへばなり我等を誰となして汝等は我儕に向ひて呟くや  モーセまた言けるはヱホバ夕には汝等に肉を與へて食はしめ朝にはパンをあたへて飽しめたまはん其はヱホバ己にむかひて汝等が呟くところの怨言を聞給へばなり我儕を誰と爲や汝等の怨言は我等にむかひてするに非ずヱホバにむかひてするなり

<口語訳>「また、朝には、あなたがたは主の栄光を見るであろう。主はあなたがたが主にむかってつぶやくのを聞かれたからである。あなたがたは、いったいわれわれを何者として、われわれにむかってつぶやくのか」。モーセはまた言った、「主は夕暮にはあなたがたに肉を与えて食べさせ、朝にはパンを与えて飽き足らせられるであろう。主はあなたがたが、主にむかってつぶやくつぶやきを聞かれたからである。いったいわれわれは何者なのか。あなたがたのつぶやくのは、われわれにむかってでなく、主にむかってである」。

 先日、中学生の息子に、「『つぶやく』ということばは単に小声でひとりごとを言うという意味なんだよ」と話したら、「ほんと?僕はてっきり『不平を言う』という意味だと思っていた。」と言った。子どものころから、新改訳聖書に慣れ親しんだ人は、「つぶやく」ということばは不平を言う、文句を言うという意味であると思い込んでしまっているのである。それまで文語訳や口語訳に親しんできた新改訳の聖書翻訳者たちも、恐らくなんの疑いもなく「つぶやく」という訳語を採用したのであろう。このブログの読者で幼い頃から文語訳・口語訳・新改訳に慣れ親しんだ方は、うちの息子と同じような驚きを感じられたのではなかろうか。
 新共同訳で、ようやく「不平を言う」「不平を述べる」とまともな訳語に改められたのは、たいへん喜ばしいことである。


<新共同訳>朝に、主の栄光を見る。あなたたちが主に向かって不平を述べるのを主が聞かれたからだ。我々が何者なので、我々に向かって不平を述べるのか。」モーセは更に言った。「主は夕暮れに、あなたたちに肉を与えて食べさせ、朝にパンを与えて満腹にさせられる。主は、あなたたちが主に向かって述べた不平を、聞かれたからだ。一体、我々は何者なのか。あなたたちは我々に向かってではなく、実は、主に向かって不平を述べているのだ。」

 新改訳聖書が本格的に改訂されるそうである。聖書翻訳者はもちろん、聖書言語の専門家である必要があり、幼い頃から聖書に親しんでいる方が多いのだろうが、それとともに普通の正常な日本語センスのある方をアドバイザーとして欲しいと思う。