苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「神のかたち」である御子を軸とする聖書教理の展望(概略)

「神のかたち」である御子を軸として、旧新にわたる教えを関連聖句を列挙して展望してみる。創世記1:26,27を除き、すべて新改訳聖書第三版。

聖三位一体:「神のかたち」である御子、すなわち、いわゆる先在のキリスト
「1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。」コロサイ1:15
「1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。・・・・」ヘブル1:3
「1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。1:2 この方は、初めに神とともにおられた。」ヨハネ1:1,2
「17:5 今は、父よ、・・・・・・・・・・・世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。」ヨハネ17:5
「17:24 父よ。・・・・あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。」ヨハネ17:24

 神は父と子と聖霊の三位一体であって、御子は万物が創造される前から御父と愛の交わりのうちにあった。愛する者と愛される者を結ぶものは愛である。


予定: 神は神の民を「御子のかたち」と同じ姿に予定された
「8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」ローマ8:28,29
「1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。 1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」エペソ1:4,5

 神のご計画の究極の目的とそのための予定(選び)がここに表現されている。


創造:万物は御子によって御子のために造られた
「1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」コロサイ1:16,17

 御父は超越者であられ、被造物にとって絶対の他者であられるが、御子は創造においても被造物と関わられ仲保の役割を果たされる。


人間の創造:人間は「神のかたち」である御子に似せて創造された
「1:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちにしたがって、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」 1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちにしたがって彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」創世記1:26,27私訳
 「ベ・デムート・エロヒーム」を新改訳第三版は「神のかたちとして」と訳しているが、そうすると、神のかたちイコール人ということになってしまうが、ここはむしろ、七十人訳のように「神のかたちにしたがって」あるいは「神のかたちにあって」と訳していただきたかったところ。そのほうが、上記コロサイ1:16,17と調和する。

 土から造られた人は善悪の知識の木の試練をへて、さらに栄光化される可能性があった。


人間の堕落:人は悪魔に誘惑され神に背き、結果、「神のかたち」である御子に似ていない者となってしまった
へびの誘惑
「3:4 そこで、蛇は女に言った。『あなたがたは決して死にません。3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。』」創世記3:4,5

 神にそむいた結果、人は「神のかたち」とはほど遠い者となってしまい、神を愛し、隣人を愛するという本来的目的から外れた者となってしまった。


御子の受肉:御子は罪人を救うために、人となられ、神と人の仲保者となられた
「1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」ヨハネ1:14
「2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」ピリピ2:6-8


宣義:御子は、人間の罪の代償を十字架の死で支払われた。復活はその贖罪の有効性の保証である。
「5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」2コリント5:21
 「完全な人」イエス・キリストの死と復活によって私たちの罪は償われ、イエスを信じる者は神と和解した。


子とすること:御父はイエスを信じる者たちに神の子としての身分と御子の御霊をくださる
 身分・特権
「1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」ヨハネ1:12
「4:4 しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。4:5 これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。」ガラテヤ4:4,5
 御子の御霊
「4:6 そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」ガラテヤ4:6



聖化:義と宣告され、子とされた者は「神のかたち」である御子にますます似せられていく
「3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」コロサイ3:10
「4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、 4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」エペソ4:23,24
「5:48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」マタイ5:48
「1:15 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。」Ⅰペテロ1:15
「3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」2コリント3:18


教会:教会とは神を父とし御子を長子とする神の家族であり、構成員は御子のかたちと同じ姿に定められている
「8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」ローマ8:29
「4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」エペソ4:15,16


終末的完成:「神のかたち」である御子と同じ姿として聖化・栄化されて、神の家族(教会)が完成し、神の家族は御子とともに被造物を相続する
「8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」ローマ8:29
「8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。8:20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。」ローマ8:17-21
「1:10 時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。1:11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。」エペソ1:10,11