苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

帝国の政治手法

 主イエス御在世当時、ヤコブの子孫イスラエルはイドマヤ人ヘロデの王家の支配下にあった。これはローマ帝国の傀儡政権である。イドマヤ人とはエドム人の子孫、エドム人とはエサウの子孫である。エサウヤコブは母親の胎内にいたときから仲が悪かった双子だったが、まさか自分たちの子孫が2000年近くも争っていようとは思いもよらなかっただろう。ローマ帝国は、この近親憎悪を利用して、イスラエルを属州としてうまく支配した。イドマヤ人のヘロデ王家にイスラエルを委ねておけば、ユダヤ人たちは内部で争って、力を発揮することはあるまいというわけだ。
 こうした手法は、近現代にいたるまで帝国の常套手段であった。大英帝国はインド支配にあたってイスラム勢力とヒンドゥ勢力を対立させた。アフリカ各地の植民地統治にあたっても、宗主国は同じ手法を取った。ルワンダにおけるフツ族ツチ族の血で血を洗う争いの根は、かつての宗主国によって意図的に作られた差別にある。分断統治は帝国の常套手段であるにもかかわらず、そうした支配者の手法にまんまと乗せられてしまうのが、人間の情けないところである。
 適用の仕方と対象は異なるが、江戸幕府の民衆支配の手法も士農工商という階級分断政策だった。農民たちは幕府から徹底的に収奪されながらも、税を納める義務のない町民・商人を軽蔑して、自分たちは武士に次ぐ階級なのだということに誇りをもって暮らすように意図されていた。民衆が一致して支配者に反抗することがないためである。小泉改革以降、多くの会社で正規雇用の社員と契約社員の分断政策が取られている。この分断統治によって労働組合を組織することはとても難しくさせられている。
 狡猾な支配者からあてがわれた根拠のないバッジによって、「あいつらよりは、俺の方が上だ」というつまらぬ優越感によって自分を支える人間。なんという情けない姿であろうか。実は、私たちはお互いみな、神のかたちにしたがって創造されたゆえに尊い存在であり、かつ、私たちはみな、神に背いたつまらぬ罪人にすぎないのである。