苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

教理体系見直し1 神、三位一体論

 これから数回に分けて、「神のかたち」としての御子という観点から、主要な聖句をピックアップして整理してみる。このメモは筆者の最終的見解ではなく、今後修正していくであろう覚書の段階であることをくれぐれもお忘れなく。

1.神、三位一体論


(1)御子(=ことばロゴス=神のかたち)は永遠の初めから御父との愛の交わりのうちに存在される
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 この方は、初めに神とともにおられた。」(ヨハネ1:1,2)
「御子は、万物よりも先に存在し・・・。」(コロサイ1:17)
「今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。」(ヨハネ17:5)
「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。」(ヨハネ17:24)


(2)<愛する者、愛される者、愛> の三位一体
 アウグスティヌスは、あるところで、「愛する者」、「愛される者」、そして両者を結ぶ「愛」という三者一組として、聖三位一体を説明している。つまり、父を愛する者、子を愛される者、聖霊を愛とするのである。


(3)御子は「神のかたち(エイコーン)」である。
「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。」(コロサイ1:15)
「キリストは神の御姿(モルフェー)である方なのに・・・」(ピリピ2:6)
「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」(ヘブル1:3)
 神は見ることのできない超越的なお方である。有限な我々には、無限のお方は絶対的に他者つまり超越者でいらっしゃる。しかし、その見えない他者であるお方が、ご自身を見えるかたちに現わされる者として生んだお方が御子である。それゆえ御子は「見えない神のかたち」であると言われる。同様に、本質は見えないものであるが、それが現われとなられたお方が御子であるとヘブル書では言われる。


(4)神は、御子のうちに、世界創造の前に神の民をお選びになった。
「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」(エペソ1:4,5)


(5)被造物は、御子によって、御子にあって、御子のために造られた
「すべてのものは、この方によって(ディ)造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:3)
「なぜなら、万物は御子にあって(エン)造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって(ディ)造られ、御子のために(エイス)造られたのです。」(コロサイ1:16)

 月と星。金星でしょうか。