妻がミラード・エリクソン『キリスト教神学』第三巻を誕生祝としてプレゼントしてくれた。第三巻は人間論、キリスト論。エリクソンの叙述は、K.バルトと反対に、むずかしいことがらを平明に書くというスタイルである。私には、どちらのスタイルもそれぞれ好ましい。本の裏扉にエリクソンの写真がある。どこにでもいそうな平凡な教授風のつまらんだじゃれでも言いそうな顔写真がいかにもエリクソンらしくて、しばしば見かけるK.バルトの人を射るような眼差しの魅力的な顔写真とは対照的に、全然魅力的でない。
本書は、1983年に出たもので長らく翻訳が待たれていて、そのうちに米国の多くの神学校のスタンダードな組織神学教科書になったようである。神学生時代、宇田進先生がエリクソンの組織神学がついに出ましたよと興奮気味に話していらした。「終末論の枠組みは、個人的終末論と一般的終末論という枠組みで書かれていて、伝統的なスタイルでしたよ。」と少し当てが外れたように、おっしゃっていた。その後、筆者も厚さ6センチほどの原書を入手して端から読み始めたのだが、イントロダクションは面倒だけれど刺激的で面白かったが、本論にはいるとあまりにスタンダードな内容なので1センチほど読んだあと、根気が続かなくてほっぽっていた。と、そのうち翻訳がされるようになった。
本書のスタイルはいかにもアメリカの教科書ふうに合理的に整理されていて使いやすいのだが、扱っている事柄は決して簡単な事柄ではないし、諸説を網羅的に扱って、むずかしい問題から逃げてもいない。それにもかかわらず、明快・平明というのがいかにもエリクソン。